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道教⇒天皇号

聖徳太子(や鑑真)のことについて調べていると、
天皇制にぶち当たってしまうことの不思議……
いや、不思議でもないのかな。「天皇」って、何? 
「不思議なめぐり合わせ」でも何でもなく、天皇が
神仙世界に遊ぶ間、実際の政治は補佐する臣が
当たればよい――というシステムを構築したのだな。
責任者が不在で、自分で決断しようとしない国。
       ☆
今日では、中国で、唐の高宗の上元(じょうげん)元年(六七四)に、君主の称号が「皇帝」から「天皇」に代わったが、その情報が、天武朝(六七二―六八六)に日本に伝わり、持統三年(六八九)に編纂された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)において正式に採用され、天武天皇に対して最初の「天皇」号が捧げられたというのが定説である。最近(一九九八年)、奈良の飛鳥寺の近くの飛鳥池遺跡から「天皇」の語を記した木簡が出土したが、その年代は、天武・持統朝ということで、最古の使用例と報道された。(中略)
 なお、「天皇」は、本来は、中国の伝統思想である道教において、宇宙の最高神とされた存在だったが、道教の創始者に擬せられる老子と唐の皇室が同じ姓であったため、唐の皇室は老子を遠祖として敬うようになり、さらに熱心な道教信者であった高宗にいたって君主号を「天皇」とすることになったのである。それを日本側が採用した事情であるが、単なる君主号としてではなく、天武十三年(六八四)に定められた八色(やくさ)の姓(かばね)真人(まひと)が道教で仙人の最高位を、道師が道教教団の指導者を意味し、天武の和風諡号の天渟中原瀛真人(あまのぬなはらのおきのまひと)が道教で海のかなたの神仙世界の最高位を意味していることなどから、道教思想を受容する一環としてであったことも確かなようである。ただし、中国では、実際の政治は、やはり儒教で行われるので、この天皇号は定着せず、高宗一代で終わり、むしろ日本で定着することになったのは不思議なめぐり合わせと言えよう。

参考文献:大山誠一『聖徳太子と日本人』(角川ソフィア文庫)
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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