山科疏水の橋(9)

花見の思い出を書き残します。季節があまりに
早く過ぎ去ってしまうものですから。JR山科駅を
起点にして、琵琶湖疏水の一部である山科
疏水のさらに一部(「安朱橋」~本稿で触れる
「第3トンネル」)を踏破した訳です。山科疏水は
山科盆地の北側の山裾に沿って流れるエリア。
「東山自然緑地」公園として整備されています
から、快適に散策等を楽しめますよ。このような
時節でなければねえ。さて、今回の探索で、最も恋い
焦がれていた橋が、「第11号橋」。「第10号橋」と

「栗原伸邸」で気分が盛り上がったところで、いよいよ
と気が逸っていたものですから、最初、遠目に見た
「日ノ岡取水池橋」を「第11号橋」と取り違えてしまい
ました。三角橋ではないですが、「日ノ岡取水池橋」も
橋の両岸より高く造られているので、その流れの先が
見えないのです。「日ノ岡取水池橋」の袂まで上がって
初めて、おや、あそこにも小さな橋があるぞ、と。
それが“日本最初の鉄筋コンクリート橋”でした。
そう記した石柱も、左岸の上り口に建っています。
☆

そうと知らなければ、まず見落とすであろう 地味な小橋。
でも、国の史跡にも指定されているのよ。保存のため、
鉄柵で物々しく防護されていまして、そうなると、余計に
橋が目立たなくなってしまうという。田邉朔郎がトロッコ
・レールを用いて、明治36年(1903)に建設した米蘭
(メラン)式鉄筋コンクリート橋。その設計データを基にして
「第10号橋」も設計し、来るべき大型化を見据えていた
そうです。橋を渡った所に建てられた石碑、「本邦最初
鉄筋混凝土橋」の方が、「第11号橋」よりも大きく、
威圧的に見えて、何だかなあ、と感じていたのですが、
そのうち、1世紀以上もの間、独りで風雪に耐えてきた
「第11号橋」が愛おしくも見えてきました。
「新山科浄水場導水トンネル取水池」の端に

架かっている状態で、疏水のすぐ先には
「第3トンネル」(850m)が待ち構えています。
東口洞門の上部に掲げられた扁額の揮毫は、
松方正義による「過雨看松色」でした。
「第3トンネル」を抜ければ、蹴上に至ります。
扁額の近くへ寄ろうとして、「鉄筋混凝土橋」
碑の周辺に歩を進めてみれば、煉瓦の欠けらが
ごろごろ。明治の煉瓦の成れの果てかしら。
参考文献:『琵琶湖疏水の歴史散策』(近代京都の礎を観る会)
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