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田中一村

2021_06_01_京都駅ビル_南遊歩道 油断している間に開催期間(5月
 8日~6月6日)が終わってしまい
 そうなので、6月1日(火)、JR京都
 駅へ向かいました。「田中一村展
  奄美へとつづく道」の鑑賞です。
 西口改札を出ると、眺望GATEの
 階段を上がり、「京都駅ビル」3F
 南遊歩道(左画像)をそぞろ歩き。
 大階段に出た後、7階(JR京都
伊勢丹)まで上り、美術館「えき」KYOTOに入りました。入館まで行列に並び
待ちましたが、館内はゆったりとして、ゆっくりと鑑賞できました。田中一村(1908
~1977)の画業を栃木~東京時代、千葉時代、奄美時代の3つに分けて展示。
       ☆
ぼくは中高生時代に読んだ「南日本新聞」の記事で、彼の存在を知りましたか。
南の琳派”や“日本のゴーギャン”といった異名もありますが、木彫家の父から
薫陶を受けたであろう南画、大島紬の染色工としての手仕事など、非常に素直に
影響されてしまう人だったのではないかと推測しています。虚心に受け容れるも、
振り回されるでなく、静かに田中一村(本名=孝、旧号=米邨)というフィルターに
よって濾過された一つひとつの滴の蓄積が、田中一村でしかない絵となって結実
する――といった印象です。奄美時代(昭和33~52年)の作品が素晴らしいのは
当然としまして(「初夏の海に赤翡翠」は黒糖焼酎のラベルで有名)、南画との
訣別から後援者の無理解を招いた「水辺にめだかと枯蓮と蕗の薹」が心に染み
ました。その後、千葉時代が始まり、米邨でなく、“一村”と名乗るようになります。
南国に行ったからゴーギャンは短絡的で、強いて言えば、日本のアンリ・ルソー
あくまで、ぱっと見の話で、一村の垣間見せる禁欲的な精神性と、ルソーの豊穣な
物語性は全く別物ながら、色面処理や明暗のコントラストの付け方が似ているかな。
       ☆
美術館を出ますと、京都駅ビルの空中径路Skyway)を散策してから、食事
(遅めのランチ or 早めのディナー)。再び、西口改札に行けば、白煙発生により、
JR京都線が運転を見合わせていました。梅小路公園近くの線路脇で、枯れ草が
燃えていたそうです。運転再開が何時になるか、読めなかったので、京都市営
地下鉄を利用。烏丸線で烏丸御池まで行き、東西線に乗り換え、三条京阪で
下車。三条から京阪本線で淀屋橋まで乗って、大阪に無事帰って来ましたよ。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術建築呑む

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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