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玄聖之徳

 聖徳太子が亡くなったことを知った恵慈が、斎を設け、浄土での再会を誓願した言葉の中で、聖徳太子を「(はるか)なる聖(ひじり)の徳(いきおい)を以て、日本の国に生(あ)れませり」と言っている。この「玄聖之徳」の語であるが、『老子』が、無為自然の最高の徳を「玄徳」としたのを、『荘子』が「玄聖素王之道」の語のように、玄徳を有する聖人を「玄聖」と称したことに由来し、それをさらに「玄聖之徳」と言い換えたものと思われる。とすれば、この部分の恵慈の言葉が弥勒信仰に基づく仏教説話であることは確かであるが、そこに強引に老荘思想が割り込んでいるのである。おそらく、これも、道慈長屋王の興を引くために仕組んだものだったに違いない。しかも、「聖徳太子」という呼称の原点がこの「玄聖之徳」にあると考えられているのだから、軽視できないのである。
       ☆
聖徳太子」という呼び方はどこから来たか?という問題です。
道慈は、『日本書紀』全体の仏教関係記事を述作したとされ、
養老2年(718)に唐から帰国。卓絶した学識を誇っていたこと
から、「釈門の秀」と称された僧侶でした。藤原不比等が、
書紀における聖徳太子像によって、天皇制の中に中国的
聖天子像(君臣間の上下秩序)を取り入れることを目論んだ
ことに対して、儒教・仏教中心に留まらず、長屋王の偏愛した
老荘思想~道教趣味をも取り込んだ文章となります。年齢的に
衰えた不比等に代わって、全盛期を現出しつつあった長屋王に
道慈が迎合した結果と見えるのですが、「天皇」という呼称と
同様、日本という国自体が道教と肌が合うように思えてならず。

参考文献:大山誠一『<聖徳太子>の誕生』(吉川弘文館)
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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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