南浜墓地
過日(5月25日)、徘徊の折、
「南浜
墓地」と表札のある一画に迷い込み
まして、「南浜墓地」は「行基菩薩
開基南濱墓所」とセットではないのか
と思うも、門扉の左脇の石柱には、
「行基菩薩開基南浜墓所」、「大阪
七墓の壱 南浜墓地 南浜墓地
護持会」と記されていましたから、
元祖・本家争いでもしているのかと
危ぶみながら、中に立ち入る余裕も無くて、現場を離れたものです。
☆
後日、Google マップ等で調べ直したところ、「道引地蔵尊」の建つ
「市設南浜霊園」の1ブロック北側に、道路や民家を隔てて、「南浜墓地」が
位置する訳です。本来は、「南浜(濱)墓地」として広範な位置を占めていた
土地が、諸々の事情から、分割されたものと推測されます。改めて、
「南浜墓地」を訪ねてみました。まずは、「市設南浜霊園」から攻めます。
道引地蔵尊の移設に伴い、しばらく前から、地蔵堂は撤去されたままで、
「行基菩薩開基南濱墓所」の石碑(右上画像)だけが空しく建っています。
道引地蔵尊は以前よりも白く、真新しく見え、磨き直されたようでした。
☆
道引地蔵尊の周囲に、秋田羅以が
祈願した「(阿)弥陀如来六観音
六地蔵尊」も在るものと、つい先日
まで思い込んでいたのですけれど、
市設霊園ではなく、護持会の運営・
整備する南浜墓地(飛び地?!)の
方に「六地蔵」(大阪市指定・有形
民俗文化財)が保存されている様を
確認することが出来ました。平成
29年(2017)6月、豊崎民生事業後援会と南浜墓地護持会の建立した「南浜(浜)
墓地の六地蔵六躯」の由来碑に刻まれた説明文を転記しておきますよ(原文ママ)。
☆
「南浜墓地」は、奈良時代の僧 行基菩薩(六六八~七四九)によって開基された「大阪七墓」の一つとして、我が国の火葬の始まりともされている由緒ある墓地である。この石造地蔵菩薩立像六躯は像高約120cmの舟形光背半肉彫りで、光背の正面向って左側に「貞享四年」(一六八七年)丁卯七月二日 北野村夜念仏願主の陰刻による銘記がある。
「七墓巡礼」は、墓所を盂蘭盆に巡り諸霊を回向した信仰習俗であり、井原西鶴の作品や近松門左衛門『賀古教信七墓廻』(一七〇二年)などの文学作品にも登場する 江戸時代から明治初期までの間、大変にぎわった信仰習俗であったが、現在墓地としては当南浜墓地と蒲生墓地以外は分散・消滅してしまっている。
現在、当墓地は、地域の篤志家のボランティアによって運営・整備され、収益は地域の福祉関係等の団体に助成金として寄付されている。
参考記事:大阪市 ― 道引之地蔵の信仰習俗
南浜墓地の道引之地蔵・六地蔵

墓地」と表札のある一画に迷い込み
まして、「南浜墓地」は「行基菩薩
開基南濱墓所」とセットではないのか
と思うも、門扉の左脇の石柱には、
「行基菩薩開基南浜墓所」、「大阪
七墓の壱 南浜墓地 南浜墓地
護持会」と記されていましたから、
元祖・本家争いでもしているのかと
危ぶみながら、中に立ち入る余裕も無くて、現場を離れたものです。
☆
後日、Google マップ等で調べ直したところ、「道引地蔵尊」の建つ
「市設南浜霊園」の1ブロック北側に、道路や民家を隔てて、「南浜墓地」が
位置する訳です。本来は、「南浜(濱)墓地」として広範な位置を占めていた
土地が、諸々の事情から、分割されたものと推測されます。改めて、
「南浜墓地」を訪ねてみました。まずは、「市設南浜霊園」から攻めます。
道引地蔵尊の移設に伴い、しばらく前から、地蔵堂は撤去されたままで、
「行基菩薩開基南濱墓所」の石碑(右上画像)だけが空しく建っています。
道引地蔵尊は以前よりも白く、真新しく見え、磨き直されたようでした。
☆

祈願した「(阿)弥陀如来六観音
六地蔵尊」も在るものと、つい先日
まで思い込んでいたのですけれど、
市設霊園ではなく、護持会の運営・
整備する南浜墓地(飛び地?!)の
方に「六地蔵」(大阪市指定・有形
民俗文化財)が保存されている様を
確認することが出来ました。平成
29年(2017)6月、豊崎民生事業後援会と南浜墓地護持会の建立した「南浜(浜)
墓地の六地蔵六躯」の由来碑に刻まれた説明文を転記しておきますよ(原文ママ)。
☆
「南浜墓地」は、奈良時代の僧 行基菩薩(六六八~七四九)によって開基された「大阪七墓」の一つとして、我が国の火葬の始まりともされている由緒ある墓地である。この石造地蔵菩薩立像六躯は像高約120cmの舟形光背半肉彫りで、光背の正面向って左側に「貞享四年」(一六八七年)丁卯七月二日 北野村夜念仏願主の陰刻による銘記がある。
「七墓巡礼」は、墓所を盂蘭盆に巡り諸霊を回向した信仰習俗であり、井原西鶴の作品や近松門左衛門『賀古教信七墓廻』(一七〇二年)などの文学作品にも登場する 江戸時代から明治初期までの間、大変にぎわった信仰習俗であったが、現在墓地としては当南浜墓地と蒲生墓地以外は分散・消滅してしまっている。
現在、当墓地は、地域の篤志家のボランティアによって運営・整備され、収益は地域の福祉関係等の団体に助成金として寄付されている。
参考記事:大阪市 ― 道引之地蔵の信仰習俗
南浜墓地の道引之地蔵・六地蔵
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