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京北の納豆もち

自分の生まれ育った地域に根差した伝統食品を「ソウル・フード」と呼ぶならば、京都・京北地域の納豆もちもまた立派なソウル・フードであろう。以前、青木正児の記した「陶然亭」で供された納豆餅について触れた(2012年9月「『陶然亭』の納豆餅」参照)。「餅を搗く際糸引納豆と塩とを入れて搗きまぜるのだとも聞くが、そうしなくとも納豆を芥子と醤油とで味をしておいて、焼餅に付けて食べても至極結構である」と、極めて融通の利く製法だった。「京北・納豆フォーラム」などで知られる京北地域の納豆もちは、いかがなものか、ざっくりと調べてみよう。

京北地域は「納豆発祥の地」といわれるだけあって、子守唄の歌詞に納豆が登場するなど、地域全体で古くから納豆に親しんできた。納豆もちの場合、正月三が日に必ず食される物である。「京都新聞」の記事では、「昔の納豆もちは抱えるほどの大きさで、いろりであぶったり、お湯で温めたりして少しずつ食べた」という談話が見られる。洛北地域の歴史・文化に詳しい中村治大阪府立大教授の調査によると、「納豆もちは旧日吉町や旧美山町のほか、京都市左京区の花背や大原などでも食べられ、作り方や味付けがそれぞれ異なる」ともいう。例えば、旧美山町のある地域では、もちを焼いて塩を加え、練った納豆をくるむ。花背では、白もちやとちもち、よもぎもちを練り合わせ、納豆は黒砂糖をまぶす……だが現在、それらの地域では、ほとんど食べられていない。

納豆と塩を加えるタイプの納豆もちのより詳しい製法については、京北町の方がブログを通して紹介している(青木正児の記述と似通うが、こちらの方はつき混ぜない)。その一端を抜き書きしてみると――約6本の藁苞納豆を開け、塩を入れて和える。塩は相当量を入れるそうで、その塩加減が納豆もちの味を左右するから、練達の腕の見せ所である。一方で、もち舟にきな粉を用意。きな粉に砂糖などは混ぜない。そこへ、つきたての餅を投入し、熱いうちにシート状に広げた上に、先ほどの納豆をたっぷりと載せ、伸ばして広げた物を端からロール状に巻いていく。すぐには食べず、正月3日くらいまで待つことで、納豆がもちの中でさらなる発酵を進める。塩も餅に染み込んでいく。年明けに網で焼くと、発酵し切った納豆と塩味の染みこんだもちの焦げた個所などが非常に香ばしく、美味なのだという。

最近では売り物で済ます人も増えていると聞くが、京北の正月には欠かせないソウル・フード、それが納豆もちなのだ。
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たまに「考える人」、歴史探偵。
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