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法王子と納豆売り

曹洞宗から派生した教団に「法王教」なるものがある。高田道見(1858〜1923)が明治後期から大正期にかけて推し進めた布教運動で、彼は大正期に入ってから曹洞宗の教義に拘泥せず、月刊誌や講演会を通して、在家仏教の振興に力を注いだ。自身の活動を「法王大聖釈迦牟尼仏の本旨に基づく仏教」という意味で「法王教」と名付けていた。「法王子」は高田道見の別号で、当時刊行された『近世高僧逸話』には、「法王子と納豆賣」というエピソードが収められている。

法王教の布教に奔走する道見は、伊予国新居郡(現・愛媛県新居浜市)仏国山をベースにしながらも、出版・講演活動の拠点となる「仏教新聞社」主宰として、東京にも席を置いていた。夏は伊予で過ごし、冬は東京で過ごす。毎年4〜5月に愛媛へ帰り、10月頃になると東京へ舞い戻る。東京へ行くのも、愛媛へ行くのも「帰る」とは言うが、腰を下ろしたところが「家郷」のようなものだし、どんなところにでも腰を落ち着けて住まうことができるから、「自分が『行く』のは『往く』のか『還る』のか区別がつかない」とぼやいて、大笑いしたらしい。

それほど忙しい道見が掲げた座額には「生死事大無常迅速、事終わらば速やかに去れ」と大書され、長居する客を警戒していたのだろう。それを目にした或る客人、「私は別段の“事”もなく来たのだから、去る必要もないだろう」と皮肉交じりの冗談を飛ばして、高田道見を非常に困らせたそうだ。ともあれ、多忙を極めるも、四六時中、筆と紙を手放さない道見は、著述あるいは弁舌により、世間の一人でも多くの者に己の教えを説き、伝えたかったのだ。

或る朝、道見の門弟が朝のあいさつにうかがったところ、ちょうど門の外を納豆売りが通りかかり、糸より細い売り声が耳に入った。道見は門弟に語った。「あの納豆売りは、この寒空に声を枯らし、毎朝東から西、西から南へと八百八町の東京を売り歩いているが、その納豆を買ってくれる真の同情者は、果たして何人いることやら……私が盛んに説教するのも同じことだ。筆が擦り切れるまで、舌が腫れ上がるまで伝道しても、本当に私の教えを理解してくれるのは片手で数えられるくらいではないか。しかし、その一人でも見つかれば、目的は達せられたとしなければならない」。悲痛な覚悟である。

参考文献:上館全霊『近世高僧逸話』(仏教館)
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