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北垣国道と田邉朔郎

11月17日(日)10時から、「OMM」グラン101・102 にて開催された
歴史講座「京阪沿線 ぶらり歴史びと ~日本の産業振興を支えた
先人たち~
」、vol.1「北垣国道と田邉朔郎の立場から 京都を救った
『琵琶湖疏水』と明治の群像
」を聴いてきました。講師は、北垣国道
(1836~1916)の曽孫にして、田邉朔郎(1861~1944)の孫である
田邉謙三氏。近代化産業遺産(経済産業省)かつ日本遺産(文化庁)
である「琵琶湖疏水」を完成させた京都府第3代知事・北垣と、主任
技術者に大抜擢された若き朔郎との関係を中心に、京都復興の礎と
なった巨大プロジェクト(当時の国家予算7,000万円に対して125万円の
工事費用)を振り返る講演です。疏水第1トンネルは当時、日本最長で
2,436m。第1疏水は明治23年(1890)、第2疏水は明治45年(1912)に
完成しています。今春、お花見に行ったばかりの「琵琶湖疏水」ですし、
近代建築とも縁の深い物件の話ですから、最初から最後まで大満足。
       ☆
“明治”という時代から興味深いのは、北垣は但馬国出身で、生野の変
(1863)、北越戦争(1868)に参戦している尊王攘夷派。朔郎は幕臣・
田邉孫次郎の長男で、父の病死後は叔父の田邉太一が後見人になって
いたことです。太一は「昌平坂学問所」に学び、同所では榎本武揚らと
親交を結んでいます。後に、榎本と北垣は、北海道開拓使において面識を
得て、後には非常に近しい間柄となりました。朔郎の妻は北垣の長女
でしたが、媒酌人を務めたのは榎本でした。大鳥圭介、荒井郁之介、
Henry Dyer など、他にも興味津々な人物が目白押しですけれども、
やっぱり、田邉太一。『幕末外交談』の自著等もあり、かなり、癖のある
お人柄のようで、少しばかり調べてみたくなりました。太一の長女・竜子は
中島歌子の主宰する歌塾「萩の舎」に入り、樋口一葉(1872~1896)と
同門でした。竜子が三宅花圃のペン・ネームで、明治21年(1888)6月に
出版した『藪の鶯』明治以降、女性によって書かれた初の小説とされ、
竜子から刺激を受けた一葉が、小説家(=経済的自立)になろうと発奮する
方向付けを与えることになります。また、三宅花圃の夫は、三宅雪嶺です。
さらに、朔郎の姉・鑑子(てるこ)が嫁いだのが、片山東熊……単なる土木
工学で済まないはずです。田邉朔郎の手掛けた「琵琶湖疏水」には、明治
という時代の近代建築と近代文学が渾然一体となって流れているのでした。
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 講座近代建築小説

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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