逆櫓の松から
「国立文楽劇場」での「錦秋文楽公演」も、既に
第1部、第2部を鑑賞して、残る第3部は来週に予約を
入れているのです。「ひらかな盛衰記」逆櫓の段では、
難波潟・福島の地以外に、地名が明記されている
個所があります。船頭・松右衛門、実は樋口次郎兼光が
襲いかかってきた他の船頭たちを倒すも、既に敵である
源義経の捕手に包囲されていると知る場面でした。
松右衛門の家の前には松の木が1本ありまして、例の
“逆櫓の松”に連想が飛んでしまうけれど、どうなのかな?
たぶん、順番は逆。義経と梶原景時の逆櫓(さかろ)に関する
論争が先にあって、場所は不特定であったところ、後世に
流行った戯作「ひらかな盛衰記」でクローズ・アップされた
福島の松の大樹が、論争の場所として比定されてしまった
ものでしょう。現存した松の木をフィクション内に取り込んだ
結果が独り歩きして、過去の歴史を書き換えてしまった、と。
☆
ひつしと響く鐘太鼓、数百人の喚(おめ)く声
「コハいかにいかに」
と驚くうちに心付き
「究竟の物見櫓(ものみやぐら)、ござんなれ」
と駆け上がる門の松
四方をきつと見渡せば北は海老江、長柄の地、東は川崎、天満村、南は津村、三つの浜、西は源氏の陣所々々、人ならぬ処もなく天を焦がせる篝(かがり)の光
「さては樋口を洩(も)らすまじ取り逃がさじとの手配りよな。さもあれいかに」
☆
現在でも通じる大阪の地名ばかりです。海老江、長柄、
川崎、天満(村)、津村……「三つの浜」がわかりにくかった
のですが、おそらくは「御津の浜」。“御津”は、港津の意。
現在も、ミナミには「御津宮」や「三津寺」が在りますからね。
第1部、第2部を鑑賞して、残る第3部は来週に予約を
入れているのです。「ひらかな盛衰記」逆櫓の段では、
難波潟・福島の地以外に、地名が明記されている
個所があります。船頭・松右衛門、実は樋口次郎兼光が
襲いかかってきた他の船頭たちを倒すも、既に敵である
源義経の捕手に包囲されていると知る場面でした。
松右衛門の家の前には松の木が1本ありまして、例の
“逆櫓の松”に連想が飛んでしまうけれど、どうなのかな?
たぶん、順番は逆。義経と梶原景時の逆櫓(さかろ)に関する
論争が先にあって、場所は不特定であったところ、後世に
流行った戯作「ひらかな盛衰記」でクローズ・アップされた
福島の松の大樹が、論争の場所として比定されてしまった
ものでしょう。現存した松の木をフィクション内に取り込んだ
結果が独り歩きして、過去の歴史を書き換えてしまった、と。
☆
ひつしと響く鐘太鼓、数百人の喚(おめ)く声
「コハいかにいかに」
と驚くうちに心付き
「究竟の物見櫓(ものみやぐら)、ござんなれ」
と駆け上がる門の松
四方をきつと見渡せば北は海老江、長柄の地、東は川崎、天満村、南は津村、三つの浜、西は源氏の陣所々々、人ならぬ処もなく天を焦がせる篝(かがり)の光
「さては樋口を洩(も)らすまじ取り逃がさじとの手配りよな。さもあれいかに」
☆
現在でも通じる大阪の地名ばかりです。海老江、長柄、
川崎、天満(村)、津村……「三つの浜」がわかりにくかった
のですが、おそらくは「御津の浜」。“御津”は、港津の意。
現在も、ミナミには「御津宮」や「三津寺」が在りますからね。
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tag : 文楽