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みおつくしの鐘

まずは、大阪市庁舎の変遷から(Wikipedia を参照)――。
【初代】  明治32年(1899)12月29日~大阪市西区江之子島上之町に仮庁舎。
【2代目】 明治45年(1912年)5月18日~大阪市北区堂島浜通2丁目に移転。
【3代目】 大正10年(1921年)5月、大阪市北区中之島1丁目(=現在地)に竣工。
      設計案は大正元年(1912)9月に懸賞募集されており、優秀作・第1席は
      小川陽吉(台湾総督府技師)。大正6年(1917)6月、片岡安が実施設計。
      大正7年(1918)6月に着工し、落成時には大阪市歌も制定。
      昭和57年(1982)6月11日から年末にかけて解体工事。
【4代目】 3代目・市庁舎に隣接して建てられていた別館は、既に解体撤去。
      4代目・市庁舎の第1期工事は、昭和57年2月に竣工。同年末、先代庁舎が
      取り壊された後、昭和61年(1986)1月27日、現庁舎の第2期工事が竣工。
      建築顧問に村野藤吾竹腰健造……竹腰ラインと言うべきか、
       実施設計は「日建設計」、大阪市都市整備局。
       ☆
なお、大阪の市制施行は、明治22年(1889)4月1日ですが、特例により、
東京府、京都府同様、大阪府知事が市長の職務を遂行していました。明治31年
(1898)9月末、市制特例は廃止。同年10月12日、田村太兵衛が初代市長に就任。
初代市庁舎が“仮庁舎”であったのは、当時の市制特例 に由来するものです。
       ☆
さて、本題「みおつくしの鐘」に入りましょう。昭和30年2021_11_19_みおつくしの鐘
(1955)―戦後10年―、大阪市の地域婦人団体協議会
(現・地域女性団体協議会)が、会員(当時15万人)の
発意によって、 “青少年をまもる愛の鐘建設運動
(募金活動)に取り組み、鐘のメロディーで毎夜10時を
告げる「時報装置」と、 母の愛を象徴する「記念鐘」を
製作。同年5月5日に大阪市に寄付し、3代目・市庁舎の
塔屋に設置されました。後世に植え付けられたイメージが
勝ち、先代庁舎に当初から「みおつくしの鐘」が下がって
いたような錯覚を起こしますが、鐘楼ではなく、唯の塔屋。
約六十年の歴史の中で、記念鐘がぶら下がっていたのは、
半分に満たない歳月だったと思われます。現庁舎屋上階の
西テラスに、当時の鐘の現物が保存されていますが、塔屋部分は
移設した物件か、復元した物件か、市の担当者もよくわからないとのこと。青銅製の
鐘の口径は約1.26m(=4尺1寸5分よいこ)、全長約1.82m、重さ約825kg。

参考記事:大阪市 ― みおつくしの鐘
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡近代建築

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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