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山本能楽堂の歴史

信州山本城主・諏訪盛重に発し、元禄年間、京都に出た
初代・七郎右衛門が、烏丸七条にて、「伊勢屋」と称した
大名貸の両替商を営み、五大両替商の一つに数えられる
身代を作ったそうです。9代目・弥太郎は「伊弥太銀行」を
設立し、京都市会議員を務め、京都市電敷設等に尽力
するも、大阪に移り住む次第となりました。先代(10代目)・
山本博之(本名・重三郎)は明治28年(1895)、弥太郎の
長男として生まれ、大正4年(1915)、二十歳で二十四世
観世宗家に入門。博之は、昭和2年(1927)、現在地に
念願の「観鵆會舞台(=山本能楽堂)」を創設しました。
同年11月16日に舞台抜き。しかし、昭和20年(1945)
3月13日、夜の大阪大空襲で全てが焼失……
再建は昭和25年(1950)でした。鏡板の松は2021_11_25_山本能楽堂
松野奏風が仕上げています。浜田豊太郎
建築となり、舞台は、「西本願寺」黒書院の国宝
舞台(桃山城の遺構)を写した“方三間”の本格
舞台。方三間は、3間(1間=6尺)を一辺とする
正方形ですね。本舞台の下に、大ぶりの
12個並べられているのが古式ゆかしく、現代では
珍しいそうです。足拍子の響きを良くするとか
しないとか……能舞台に奈落は無いものなぁ。
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テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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