文鹿という生き方

Metro・谷町線で、天王寺から南森町へ移動。タイトな
日程の中、乗り換え無しの一本で動けるのが嬉しい。
炭火串焼「らいず」に入り、おでんや大根の空揚げを
摘まんだ後、「天満天神繁昌亭」に滑り込み、18時
30分から、「桂文鹿 三遊亭遊馬 東西競演」を聴くの
でした。桂竹丸が鹿児島県出身なので、三遊亭遊馬
(ゆうば)にして、ようやく、江戸落語を聴いた気になり。
桂雪鹿の「子ほめ」の前に、いきなり、文鹿さんが登場。
手売りの分と「ぴあ」への委託分のうち、手売りの枚数
50枚強を眠らせてしまっていた、と衝撃の告白を始め、
満席に至らなかったことについて、淡々と反省の弁。
さすが、(違う意味で)「チケットの取れない落語家」です。文鹿師匠のマニアックな
「紙相撲風景」に続いて、遊馬の「大工調べ」で中入り。膝代わりで再び、遊馬が
「蛙茶番」。上方落語ではなかなか聴けない演目を満喫します。トリの文鹿は大ネタ
「立ち切れ線香」。番頭がまだまだですし、若旦那も直情径行過ぎますが、これから
どんどん良くなる噺には違いなく、きちんと記憶に留めておくのです。一応、本日付で
文鹿さんは上方落語協会を脱会。人間として何が変わるという訳でもないのですが、
感慨深くはありますねえ(噺家の大半が、肩書や組織への所属を通して、見られて
しまうでしょうし)。ゲスト出演等は別にして、文鹿さんの名を「繁昌亭」で見る機会は
無くなったのか。ファン・クラブに入ろうとか、どうこうでなく、密かに応援するだけです。
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