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こんにゃくゑんま

あゝ今日は盆の十六日だ、お焔魔樣へのお參りに連れ立つて通る子供達の奇麗な着物きて小遣ひもらつて嬉しさうな顏してゆくは、定めて定めて二人揃つて甲斐性のある親をば持つて居るのであろ

樋口一葉(1872〜1896)の『にごりえ』5章に見られる「お焔魔様へのお参り」だが、これは東京都文京区小石川にある浄土宗の寺院、源覚寺に祀られる「こんにゃくゑんま」のこと。山号は常光山。寛永元年(1624)、定誉随波上人によって開創。旧暦7月16日は「閻魔詣で」の日に当たり、閻魔王の斎日、地獄の釜の蓋が開く日と伝えられる。

夏目漱石(1867〜1916)の『こゝろ』では、「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂道を上って宅へ帰りました」と触れられている。こんにゃくゑんま

この文京区指定有形文化財(彫刻)でもある木造「閻魔王坐像」は、高さ100.4センチメートル、ヒノキ材の寄木造り。運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作。彩色を施し、玉眼が嵌め込まれているのだが……銘文によれば、寛文12年(1672)に仏師 ・ 竹内浄正が修理を行っている。閻魔王自体は、冥府で死者を裁く十王のひとり。源覚寺の右目が濁っているこの閻魔王をわざわざ「こんにゃくゑんま」と呼び習わすのには、いわれがある。

――宝暦年代(1751〜1764)の頃、眼病を患った老婆が源覚寺の閻魔王坐像に21日間の祈願を行うことにした。すると夢の中に大王が現れて、「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴女に差し上げよう」と言う。満願の日を迎えると、大王の言葉に偽りなく老婆の目は完治したが、閻魔王坐像の右目は黄色く濁ってしまっていた。老婆の代わりに、大王の右目が盲となったのだ。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供え続けた。そこから、源覚寺の閻魔王坐像は「こんにゃくゑんま」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔王として人々の信仰を集めるようになったという。

眼病に罹った老婆がたまたまこんにゃく好きだったのか、あるいはこんにゃくと閻魔に何らかの民俗学的な連関があるのか、興味をそそられる民間伝承ではある。源覚寺は創建以来、明暦の大火(1657)、お薬園火事(1762)、戸崎町火事(1774年)、富坂火事(1884年)と4度の大火に見舞われたが、本尊も閻魔王坐像も難を逃れた。源覚寺門前一帯は「こんにゃくゑんま門前」として、現在も江戸時代から続く縁日のにぎわいを見せている。
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