寺町橋

西寺町、西寺町(下寺町)、谷町筋八丁目寺町、
生玉筋中寺町、八丁目寺町、生玉寺町、八丁目
中寺町、八丁目東寺町、小橋寺町、天王寺寺町
――という11の寺町が在ったといいます。城下
町を防御する役割を持っていた寺町ですが、
天満寺町は東西に長かったことから、半分に
分けて、天満東寺町/天満西寺町(東寺町の
東端に位置するのが「専念寺」でした)。この
寺町を東西に走る“寺町通り”が、南北に流れる阪神高速
12号・守口線と交差する地点――昭和43年(1968)頃に

埋め立てられたようですが、元は天満堀川が流れていた
訳で、当然、橋は架かっていました――に、「樽屋橋」等
と同様に、「寺町橋」の親柱が残されています。本来の
設置位置ではないと思われますが、堀川筋南第2~3
駐車場内、北西側と南東側に同様の形状の親柱(?!)が
2本建っています(上部は欠損)。いずれにも「昭和二年
六月改築」の文字が刻まれていました(右下画像)。大阪
市の“第一次都市計画事業”によって架け替えられた
1径間のコンクリート・アーチ橋です。中之島一帯の景観を
意識した「太平橋」と同じコンクリート・アーチ橋であった
ことに、「寺町橋」も寺町通りの歴史や風致を尊重しての
意匠であったのではないかと愚考するところ。今は高架下で
見る影も無く……「寺町橋」(跡)西詰の南角が「堀川戎神社」。
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