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寺町橋

2022_01_24_寺町橋 江戸時代の大坂城下には、天満東寺町天満
 西寺町
、西寺町(下寺町)、谷町筋八丁目寺町、
 生玉筋中寺町、八丁目寺町、生玉寺町、八丁目
 中寺町、八丁目東寺町、小橋寺町、天王寺寺町
 ――という11の寺町が在ったといいます。城下
 町を防御する役割を持っていた寺町ですが、
 天満寺町は東西に長かったことから、半分に
 分けて、天満東寺町/天満西寺町(東寺町の
 東端に位置するのが「専念寺」でした)。この
寺町を東西に走る“寺町通り”が、南北に流れる阪神高速
12号・守口線と交差する地点――昭和43年(1968)頃に2022_01_24_昭和二年改築
埋め立てられたようですが、元は天満堀川が流れていた
訳で、当然、橋は架かっていました――に、「樽屋橋」等
と同様に、「寺町橋」の親柱が残されています。本来の
設置位置ではないと思われますが、堀川筋南第2~3
駐車場内、北西側と南東側に同様の形状の親柱(?!)が
2本建っています(上部は欠損)。いずれにも「昭和二年
六月改築
」の文字が刻まれていました(右下画像)。大阪
市の“第一次都市計画事業”によって架け替えられた
1径間のコンクリート・アーチ橋です。中之島一帯の景観を
意識した「太平橋」と同じコンクリート・アーチ橋であった
ことに、「寺町橋」も寺町通りの歴史や風致を尊重しての
意匠であったのではないかと愚考するところ。今は高架下で
見る影も無く……「寺町橋」(跡)西詰の南角が「堀川戎神社」。
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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