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金吾と羊

高校時代に読んでいたはずなのに、加藤周一 『羊の歌
―わが回想―』
を読み返していて、細部をすっかり忘失
していたことに愕然とします。辰野金吾(1854~1919)が
登場していたのに、全く記憶に引っ掛からなかったとは……
加藤周一(1919~2008)の父は、埼玉県の地主の二男で、
東京帝国大学病院を去ると、開業医となり、その患者には
金吾もいたというエピソード。ぼくの建築趣味らしきものは
近年に始まったのでなく、E・A・ポオに親しんだ子供時代
から、既に種は播かれていたのだと諦めることにします。
       ☆
「往診」の患者のなかには、無愛想で「商売気のない」医者を信用する特殊な人々もあったらしい。その一人は、東京駅をつくって明治建築史に独特の業績をのこした辰野金吾であった。辰野金吾の長男は、東京帝国大学に仏文学科を興した辰野隆教授である。父は二代にわたって、辰野家の「かかりつけ」の医者であった。私は建築家辰野金吾について、父が誇らしげに語るのを聞いたことがある。「東京でも横浜でも、煉瓦の建物は大地震でみんな崩れた。ところが辰野さんのつくった建物だけは、決して崩れない。瓦礫の焼野原に、辰野さんの煉瓦づくりだけが、しっかりたっていた。実に大したものだな」。私はその「辰野さん」には面接の機会をもたなかったが、仏文の辰野教授には、後年知遇を得て、「一九世紀文芸思潮」の講義を聞いたばかりでなく、また教室の外でも談論風発する快男子の風貌に接するようになった。「君のお父さんは名医だ」と辰野教授は、べらんめえでいった、「青山(胤通)の直弟子でね、大学をやめたのも、青山のあとでは、誰が来ても話にならねえ、てんだ。痛快じゃないか、腕は確かなんだ、無愛想だけどね」――私はそういうものかと思い、その言葉には、世に容れられぬ人物への微妙ないたわりも含まれているのだろう、と想像した。しかしもしその言葉にいたわりが含まれていたとすれば、それをいたわりとして相手に感じさせない配慮のこれほど完璧な例は、ほかになかった。

参考文献:加藤周一『羊の歌』(岩波新書)
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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 近代建築小説

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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