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阿倍/安倍/阿部野

2022_03_26_阿倍王子神社 何の由縁か、東北から来た友人らを案内すべく、
 大阪市阿倍野区へ向かったのでした。阪堺電気
 軌道・上町線で、天王寺駅前から松虫で下車。
 大阪府道30号(大阪和泉泉南線)の一部となる
 あべの筋を南下すると、西側に「阿倍王子神社
 (大阪市阿倍野区阿倍野元町9−4)が見えます。
 仁徳天皇の創建と伝えられ、祭神は伊弉諾命、
 伊弉冉命、素盞嗚命、品陀別尊(八幡大神)の
 4柱。熊野街道が西側を通っていることから、
九十九王子”(「熊野神社」の分霊社)の「第二社」として殷賑を極めたそうです。
現在、大阪府下では唯一の旧地に現存する王子社であるとのこと。他に、「葛の葉
稲荷神社」や「水神社(すいじんじゃ)」等が建っており、なにわの伝統野菜天王寺蕪
(かぶら)
”の石碑も目を引きました。参道の両側から圧するように聳え立っている「汰紀能
木霊神(たきのこだまのかみ)」、「多真能木霊神(たまのこだまのかみ)」、「茂杜能木霊神(もりの
こだまのかみ)
」、「波多能木霊神(はたのこだまのかみ)」と名付けられた神木もご立派。
すぐ北側の「印山寺」は、「五代目桂文枝之墓所」です。こんな所に在りましたよ。
       ☆
「阿倍王子神社」の境外社と言っても、もと熊野街道を北へ2022_03_26_安倍晴明神社
50m ばかり。昔、他の媒体に記事を書いたかと記憶する
安倍晴明神社」(阿倍野区阿倍野元町5−16)ですが、
信太森葛葉稲荷神社」を訪れた流れから参拝したので
あれば、2014年1月2日以降かと憶測しまして、調べて
みたところ……2010年11月22日以来の再訪でした。日記
(のような物)に当たれば、正確な経緯は判明しましょうが、
いずれにしろ、ブログ上の空白期間。十年やそこらでは、
何も変わりようがない ぼくなのでした。安倍晴明を祀った
「安倍晴明神社」の創建は、晴明没後の寛弘4年(1007)。
吉田種次郎(1871~1957)の設計による本殿、拝殿
および幣殿、透塀は大正13年(1924)の建築と書かれて
いました。父・保名の名を冠した「泰名稲荷神社」の他、
(等身大の)安倍晴明像、葛之葉霊狐の飛来像 、鎮石
(孕み石)、産湯井の跡……バラエティ豊かではあります。
       ☆
2022_03_26_阿部野神社 「阿部野神社」(大阪市阿倍野区北畠3-7-20)
 を攻めようとして、「安倍晴明神社」の位置する
 北側からのルートは無謀だったようで、随分と
 迷走してしまいました。その代わり、晴明丘公園
 「経塚跡」、住吉高等学校前の「岸の姫松・
 五本松
」、「やしろ坂」(of 阿倍野七坂)に
 行き当たりましたけれども。祭神、と呼ぶのは
 何か違うと思われますが、北畠親房(1293~
 1354)・北畠顕家(1318~1338)の父子を
祀っているのです。今回は「旗上稲荷社」、「旗上芸能稲荷社」を丁寧に観て回りました。
初心忘れるべからず。明治11年(1878)に創建運動が起きたといいますから、歴史は
浅い部類でしょうが、妙な熱気が燻っているようで、その正体をまたいつの日か……。
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡建築樹木落語

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
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