嶋嘉橋/率川地蔵尊
(シフト上)前夜22時からの深夜勤務が始まって
いまして、4日連続なのよねえ……前日(19日)は
「扇町小学校」の授業に協力。寝る間を削るしか
ないのだけれど、何を死に急いでいるんだか。
起きながらにして見る夢は古都を駆け巡り……。
☆
「興福寺」から猿沢池に下りて、そのまま南へ
歩を進めると、石の高欄が残る小さな橋に行き
当たります。ほとんど暗渠化されている率川
(いさがわ)に架かっている「嶋嘉橋」でありました。
☆
「絵屋橋」も率川に架かっていた橋でしたね。橋名板は
望むべくもないのですが、石造りの橋脚に「明和七(1770)
庚寅年五月吉日」、「嶋屋嘉兵衛」と刻まれています。
資材を投じて橋を架けたという嶋屋嘉兵衛から、橋名を
採った模様。率川の細い流れに目を遣り、ぎょっとします
地蔵の群れ。舟の形に設えられた中州に祀られた「率川
地蔵尊」は、暗渠化~護岸工事の際、率川に捨てられて
いた(おそらくは廃仏毀釈)石像、約60体が集められた物
でして、以前は「川中地蔵」と呼ばれ、「尾花谷地蔵尊」、
「舟地蔵」といった別名もあるようです。コンクリート製の
小舟に乗ったお地蔵さんは、ビジュアル的に面白く、水の
見えなくなった川を通して、どこへ連れて行かれるのやら。

いまして、4日連続なのよねえ……前日(19日)は
「扇町小学校」の授業に協力。寝る間を削るしか
ないのだけれど、何を死に急いでいるんだか。
起きながらにして見る夢は古都を駆け巡り……。
☆
「興福寺」から猿沢池に下りて、そのまま南へ
歩を進めると、石の高欄が残る小さな橋に行き
当たります。ほとんど暗渠化されている率川
(いさがわ)に架かっている「嶋嘉橋」でありました。
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望むべくもないのですが、石造りの橋脚に「明和七(1770)
庚寅年五月吉日」、「嶋屋嘉兵衛」と刻まれています。
資材を投じて橋を架けたという嶋屋嘉兵衛から、橋名を
採った模様。率川の細い流れに目を遣り、ぎょっとします
地蔵の群れ。舟の形に設えられた中州に祀られた「率川
地蔵尊」は、暗渠化~護岸工事の際、率川に捨てられて
いた(おそらくは廃仏毀釈)石像、約60体が集められた物
でして、以前は「川中地蔵」と呼ばれ、「尾花谷地蔵尊」、
「舟地蔵」といった別名もあるようです。コンクリート製の
小舟に乗ったお地蔵さんは、ビジュアル的に面白く、水の
見えなくなった川を通して、どこへ連れて行かれるのやら。
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