法然ヒストリア
大阪市北区の「源光寺」(大阪市北区豊崎2-3-23)を復興した
という 法然 (1133~1212)の生涯をトレースしてみました。
「源をたづねてぞ知る この寺の光あまねき法のともしび」
と詠んだばかりでなく、「源光寺」というスポットにおいては、
法然が「四天王寺」における2度目の日想観に赴く途上だった
ところに、ポイントがあるかと思われます。後白河法皇も同席した
といわれる最初の日想観とは、意味合いが全く異なりますから。
「建永の法難」によって京を追われ、まだ帰洛も許されないまま、
終焉の地となるやもしれない「勝尾寺」に住まっていた法然が、
何を思って、四天王寺で日想観を再び修しようとしたのか? そこに
ドラマがある、と睨んでいる訳ですけれど、5分前後では語れませんよ。
☆

参考記事:源光寺の歴史
という 法然 (1133~1212)の生涯をトレースしてみました。
「源をたづねてぞ知る この寺の光あまねき法のともしび」
と詠んだばかりでなく、「源光寺」というスポットにおいては、
法然が「四天王寺」における2度目の日想観に赴く途上だった
ところに、ポイントがあるかと思われます。後白河法皇も同席した
といわれる最初の日想観とは、意味合いが全く異なりますから。
「建永の法難」によって京を追われ、まだ帰洛も許されないまま、
終焉の地となるやもしれない「勝尾寺」に住まっていた法然が、
何を思って、四天王寺で日想観を再び修しようとしたのか? そこに
ドラマがある、と睨んでいる訳ですけれど、5分前後では語れませんよ。
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参考記事:源光寺の歴史
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