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阪急三番街の誕生

その後の日本の経済成長に伴い、(阪急電鉄梅田駅の)利用者は増加の一途をたどり、駅が手狭になってきた。そのため、それまで国鉄の大阪環状線をくぐった南側にあった駅ホームを、北側に移設して大規模化することが計画された。その工事は1966(昭和41)年から1973(昭和48)年にかけての実に7年にわたる大掛かりなものであったが、10面9線という、これも私鉄における日本一という駅ホームが完成したのである。また、ホーム用地の下には(地上1階および地下1・2階の3層)、「阪急三番街」という名の大規模商業施設も完成した。地下2階は「川の流れる地下街」ということでも人気を博した。駅入口側とホームの距離が離れてしまったため、これを結ぶ長い「動く歩道」(ムービングウォーク)にも度肝を抜かれたものである。
 これらに要する莫大な工事
(費)用を捻出のため、駅構内からのテナント収入が期待されるわけだが、このとき阪急に決断させたキーテナントとは、東京の新宿を本店とする、大手書店の紀伊國屋書店であったという。同書店にとっても東京以外では初進出であり、大英断であったと思われるが、それを決断した紀伊國屋の創業家出身の当時の社長、田辺茂一の名も記録(原文ママ)されるべきだろう。
 なお、ホーム跡地には、1973(昭和48)年3月14日に17階建ての阪急ターミナルビル、1977(昭和52)年8月8日には32階建ての阪急グランドビルも完成し、百貨店部分ともつながって、その増築ともなった。さらにはそれぞれに「17番街
(阪急ターミナルビル)、「32番街(阪急グランドビル)という商業施設もつくられ、オフィスも入居した。
(今田保「『大阪の私鉄ターミナル』を考える」)
       ☆
阪急三番街」は北館と南館に分かれており、全館完成
(=第3期工事竣工)は昭和48年(1973)11月23日。
先行する第1期工事を終えた“川が流れる街”自体は、
日本万国博覧会」(1970)に合わせて、昭和44年
(1969)11月30日に開業していました。開業15周年を
機に大改装が行われ、昭和59年(1984)11月30日、
「ホビーステーション」がオープン。平成2年(1990)は
開業20周年、「国際花と緑の博覧会花の万博)」
開催もあったことから、同年5月5日にフレッシュアップ・
オープン。「グランフロント大阪」(2013年4月26日開業)に
対抗してか、北館のてこ入れをメインに、平成29年(2017)
4月27日、リニューアル・オープンしています。その過程で、
かわいい水族館」が閉鎖され、代わりにREGOブロックを
使った「HANKYU BRICK MUSEUM」が誕生したのです。
しかしながら、阪急・大阪梅田駅の大規模再開発が計画
されており、「大阪新阪急ホテル」、「阪急ターミナルビル
と同じく、「阪急三番街」も建て替えらえることが決定している
現状、人よりも建築物(街の一部)の寿命がはかなくて……。

参考文献:「鉄道ピクトリアル 2011・12月号(No.857)」(電気車研究会)
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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