小森忍
過日(23日だったか)、タイル名称統一100周年記念巡回企画展
「日本のタイル100年 ― 美と用のあゆみ」におけるトーク・イベント
藤森照信×若林亮 「タイルのこれまでとこれから」 を Youtubeで
見直していたのですよ。やっぱり、藤森先生はフリーダムで面白いな。
先日は、佐伯祐三を語るに当たって、避けては通れない落合莞爾
『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』(時事通信社)を精読。
真贋問題そのものが、識者によって認識がずれている観はありまして、
アーティスト名を冠したオフィシャルな作品として流通できるかどうか
といった問題に置き換えてみれば、話は簡単になるはずなのですが、
多額の金銭が動くとなれば、そうも言っていられないのか……近代
以前の芸術家は工房の主宰者であり、近代以降であれ、小説家の
作品に編集者の手が一切入っていないと言い切れる作品がどれだけ
あることかしら? 天才(=個人)は純粋単一でなければならない、と
いう強迫観念はしんどいだけなんですけどねえ。“佐伯”という既存の
商品絵画のブランドのみを真とするか、純粋に、佐伯一個人の手に
成った物のみを佐伯の絵として局限すべきなのか? 一方のみが真
と主張するから、他方が偽とされてしまう構造……いえ、ここで記して
おくのはシンクロニシティ。京都市陶磁器試験場に勤めまして、後に
小森陶磁器研究所(=山茶窯)を設立した小森忍(1889~1962)が
古陶磁の倣作を行っていたと(佐伯とは全く関係無く)、落合の真贋
事件本の後半にいきなり登場してきて、面喰らった次第です。美と用の
文脈に戻すと、工芸品に近い“美術タイル”というジャンルを創出した
のが小森忍……創造と模倣の関係も、単純に割り切れるものではなく。
参考文献:『日本のタイル100年 美と用のあゆみ』(INAXライブミュージアム)
落合莞爾『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』(時事通信社)
「日本のタイル100年 ― 美と用のあゆみ」におけるトーク・イベント
藤森照信×若林亮 「タイルのこれまでとこれから」 を Youtubeで
見直していたのですよ。やっぱり、藤森先生はフリーダムで面白いな。
先日は、佐伯祐三を語るに当たって、避けては通れない落合莞爾
『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』(時事通信社)を精読。
真贋問題そのものが、識者によって認識がずれている観はありまして、
アーティスト名を冠したオフィシャルな作品として流通できるかどうか
といった問題に置き換えてみれば、話は簡単になるはずなのですが、
多額の金銭が動くとなれば、そうも言っていられないのか……近代
以前の芸術家は工房の主宰者であり、近代以降であれ、小説家の
作品に編集者の手が一切入っていないと言い切れる作品がどれだけ
あることかしら? 天才(=個人)は純粋単一でなければならない、と
いう強迫観念はしんどいだけなんですけどねえ。“佐伯”という既存の
商品絵画のブランドのみを真とするか、純粋に、佐伯一個人の手に
成った物のみを佐伯の絵として局限すべきなのか? 一方のみが真
と主張するから、他方が偽とされてしまう構造……いえ、ここで記して
おくのはシンクロニシティ。京都市陶磁器試験場に勤めまして、後に
小森陶磁器研究所(=山茶窯)を設立した小森忍(1889~1962)が
古陶磁の倣作を行っていたと(佐伯とは全く関係無く)、落合の真贋
事件本の後半にいきなり登場してきて、面喰らった次第です。美と用の
文脈に戻すと、工芸品に近い“美術タイル”というジャンルを創出した
のが小森忍……創造と模倣の関係も、単純に割り切れるものではなく。
参考文献:『日本のタイル100年 美と用のあゆみ』(INAXライブミュージアム)
落合莞爾『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』(時事通信社)
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