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天満の佐兵衛

小林佐兵衛(1829~1917)こと、明石屋万吉は、大坂の侠客です。
勤皇も佐幕も無いと、幕末から明治時代を駆け抜けた大侠客でして、
明治42年(1909)の“北の大火(=天満焼け)”に際し、北の(消防)
大組頭取に就いていた佐兵衛が、「大阪天満宮」を火災から守った
という武勇伝も知られていますけれど、司馬遼太郎『俄 ―浪華
遊侠伝―』
では、また別な形で天満との関わりが描かれていました。
幕末期、西大坂の警備隊長を務め、鳥羽伏見の落ち武者でもあった
佐兵衛は、幕府に加担したとして、官軍の長州陣屋(天満・川崎町
「建国寺」=「東照宮」に在りました)に引き出され、あわや……という
局面で、かつて命を救った遠藤謹介(1836~1893)の目に留まり、
長州軍屯所から放免されることが出来たのです。そこで、「けったくそ
わるい。宿替えや」と、白髪橋から天満・滝川町の古ぼけた借家に
移転したそうですが、「滝川小学校」正門前には、「川崎東照宮跡
碑が建っていることを思い出します。“長州五傑”の一人、遠藤謹介は
造幣の父」と呼ばれ、当初から「造幣局」に勤め、明治14年(1881)、
造幣局長にも就任しました。明治16年(1883)から始まった造幣局の
桜の通り抜け」が当時の局長だった謹介の指示と知れば、感無量。

参考文献:司馬遼太郎 『俄 ―浪華遊侠伝―(下)』(講談社文庫)
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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 小説史跡

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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