冒険技術者・ウォートルス
時は明治4年(1871)4月4日、大蔵省造幣寮の創業式が挙行されました。新政府が近代国家として貨幣制度の確立を図るため、当時画期的な洋式工場を建てています。設計・監督に当たったのはウォートルス。先立つ慶応四年(1868)、五代友厚らが英国商人、トーマス・ブレーク・グラバーを通じて香港造幣局の機械一式を購入。(大阪市北区)旧・川崎村、旧幕府・破損奉行役所の材木置場跡地をはじめとする一帯を用地に充て、現在の2倍強の面積だったといいます。
幕末に暗躍した武器商人として見た場合、「死の商人」とも呼ばれるグラバーですが、遠い異国との交易による一攫千金を夢見た十九世紀の「冒険商人」の一人とも言えます。そのグラバーの下、彼が仲介する洋式工場建設のエンジニアとして、新政府一の御雇外国人建築家の地位に就いたのがトーマス・ウォートルス。正式名はトーマス・ジェームス・ウォータース、「ウォートルス」は幕末のオランダ語読みですね。1842(天保13)年、アイルランド内陸の町バーに生まれ、日本には、イギリス人との触れ込みで幕末の長崎・外国人居留地に上陸していたのでした。
日本近代建築史上、幕末から明治初期にかけて、「ウォートルス時代」と呼ばれる一時期を画した御雇外国人建築家ですが、後に日本建築界の基礎を築いたジョサイア・コンドルとは、全く性質が異なります。建築学(当時は造家学科)教授として辰野金吾らも育成したコンドルを純粋な建築家と呼ぶならば、ウォートルスは唯の「何でも屋」でした。
高い地位を得たのは何でもそこそこに出来る知識と経験を持っていたから。元々建築家でなく、鉱山技師だったといいます。鉱山の開発は、人跡未踏の地に出掛け、測量に始まり、道路、トロッコ、ダム、水道、工場、宿舎、電気、スチーム・エンジン、動力機械と何でも独りでこなさなければなりません。
「建築」というより「建設」。開国直後の日本では、国土と都市と産業が必要とする事業は何でも引き受けてくれる土木分野と地続きの建築技術者が求められていたのです。淀川の治水等に携わったヨハネス・デ・レーケも同様ですか。ウォートルスやデ・レーケは上海で電気・水道・ガス・運河の建設も進めていたそうで、建築史家の藤森照信は、(東アジア等の)新開地を腕一本に託して渡り歩くよろず屋的な建設技術者を、冒険商人に因んで「冒険技術者(アドベンチャーエンジニア)」と呼んでいます。
或る意味「万能」。広く浅い技術者であったウォートルスだったからこそ、日本の激動期に高く評価され、後に井上馨の求めに応じて、新しい東京の表玄関を飾る一大計画「銀座煉瓦街」の設計も任されたのでしょう。何でも屋の鉱山技師ですから、煉瓦を大量に生産する最新鋭の窯、ドイツの窯業技術者フレデリック・ホフマンが1856年に開発した「ホフマン窯」も知っていまして、日本の煉瓦製造は、戦後にガス窯が導入されるまでホフマン窯が使用されることになります。
鉱山技師……冒険技術者としてのウォートルスの生涯を先に総括しましょう。ウォートルスは三人兄弟の長男で、弟はアルバートとアーネストといいます。弟二人は、世界屈指の鉱山大学、ドイツのフライブルク鉱山大学に学んでいます。生涯を鉱山技師として共に過ごしたウォートルス三兄弟。幕末~明治初期、兄に続いて弟2人も来日し、長崎の高島炭鉱を開き、群馬県に中小坂鉱山も開きました。兄弟して、日本の建築・鉱山史に大きな足跡を残していたのです。日本を去り、上海に渡った後、兄はニュージーランド、弟二人はアメリカのコロラドで本来の鉱山開発に携わります。やがて、兄のウォートルスもコロラド銀山に合流し、シルバーラッシュの立役者となり、安住の地を得たそうです、が。
さて、目の前の「泉布観」。明治4年(1871)、造幣寮(現・造幣局)の応接所として建てられ、大阪府で現存する最古の洋風建築といわれています。トスカナ式オーダーやペディメントなどに目を奪われそうになりますが、「洋風」を決定付けているのは煙突です。ちゃんと暖炉が設けられているということですね。また、(西回りの)ヴェランダ・コロニアル様式にも注目。
ポルトガル、スペイン、イギリスなど、アジアの熱帯にやって来たヨーロッパの冒険商人を待ち受けていたのは暑さでした。暑さへの対策として、直射日光を防ぎ、かつ風通しを良くするヴェランダを各部屋の外に設け、広い面積を取っています。部屋からヴェランダにすぐ出て行けるフランス窓(窓枠が床面まであります)も必須。赤道近くだと季節によって太陽が南からも北からも差すため、北側にもヴェランダが張り出す四面タイプですが、泉布観は西日を避けての三面ヴェランダとなっています。
時に明治天皇は明治5年(1872)、同10年(1877)、同31年(1898)の計3回行幸。応接所の利用時、『史記』の一節「宝貨之行如泉布」から「泉布観」と命名したといわれています。単に泉布=貨幣という意味ではなく、ヴェランダからの景色にいたく感じ入っての命名ですから、大川の眺め=泉布のイメージを踏まえているのは間違いありません。この建築物の設計者の名前にもまた、「水(Waters)」が窺えるのは、一体どういう歴史の悪戯なのでしょうか。
© 2022 林 まこ
幕末に暗躍した武器商人として見た場合、「死の商人」とも呼ばれるグラバーですが、遠い異国との交易による一攫千金を夢見た十九世紀の「冒険商人」の一人とも言えます。そのグラバーの下、彼が仲介する洋式工場建設のエンジニアとして、新政府一の御雇外国人建築家の地位に就いたのがトーマス・ウォートルス。正式名はトーマス・ジェームス・ウォータース、「ウォートルス」は幕末のオランダ語読みですね。1842(天保13)年、アイルランド内陸の町バーに生まれ、日本には、イギリス人との触れ込みで幕末の長崎・外国人居留地に上陸していたのでした。
日本近代建築史上、幕末から明治初期にかけて、「ウォートルス時代」と呼ばれる一時期を画した御雇外国人建築家ですが、後に日本建築界の基礎を築いたジョサイア・コンドルとは、全く性質が異なります。建築学(当時は造家学科)教授として辰野金吾らも育成したコンドルを純粋な建築家と呼ぶならば、ウォートルスは唯の「何でも屋」でした。
高い地位を得たのは何でもそこそこに出来る知識と経験を持っていたから。元々建築家でなく、鉱山技師だったといいます。鉱山の開発は、人跡未踏の地に出掛け、測量に始まり、道路、トロッコ、ダム、水道、工場、宿舎、電気、スチーム・エンジン、動力機械と何でも独りでこなさなければなりません。
「建築」というより「建設」。開国直後の日本では、国土と都市と産業が必要とする事業は何でも引き受けてくれる土木分野と地続きの建築技術者が求められていたのです。淀川の治水等に携わったヨハネス・デ・レーケも同様ですか。ウォートルスやデ・レーケは上海で電気・水道・ガス・運河の建設も進めていたそうで、建築史家の藤森照信は、(東アジア等の)新開地を腕一本に託して渡り歩くよろず屋的な建設技術者を、冒険商人に因んで「冒険技術者(アドベンチャーエンジニア)」と呼んでいます。
或る意味「万能」。広く浅い技術者であったウォートルスだったからこそ、日本の激動期に高く評価され、後に井上馨の求めに応じて、新しい東京の表玄関を飾る一大計画「銀座煉瓦街」の設計も任されたのでしょう。何でも屋の鉱山技師ですから、煉瓦を大量に生産する最新鋭の窯、ドイツの窯業技術者フレデリック・ホフマンが1856年に開発した「ホフマン窯」も知っていまして、日本の煉瓦製造は、戦後にガス窯が導入されるまでホフマン窯が使用されることになります。
鉱山技師……冒険技術者としてのウォートルスの生涯を先に総括しましょう。ウォートルスは三人兄弟の長男で、弟はアルバートとアーネストといいます。弟二人は、世界屈指の鉱山大学、ドイツのフライブルク鉱山大学に学んでいます。生涯を鉱山技師として共に過ごしたウォートルス三兄弟。幕末~明治初期、兄に続いて弟2人も来日し、長崎の高島炭鉱を開き、群馬県に中小坂鉱山も開きました。兄弟して、日本の建築・鉱山史に大きな足跡を残していたのです。日本を去り、上海に渡った後、兄はニュージーランド、弟二人はアメリカのコロラドで本来の鉱山開発に携わります。やがて、兄のウォートルスもコロラド銀山に合流し、シルバーラッシュの立役者となり、安住の地を得たそうです、が。
さて、目の前の「泉布観」。明治4年(1871)、造幣寮(現・造幣局)の応接所として建てられ、大阪府で現存する最古の洋風建築といわれています。トスカナ式オーダーやペディメントなどに目を奪われそうになりますが、「洋風」を決定付けているのは煙突です。ちゃんと暖炉が設けられているということですね。また、(西回りの)ヴェランダ・コロニアル様式にも注目。
ポルトガル、スペイン、イギリスなど、アジアの熱帯にやって来たヨーロッパの冒険商人を待ち受けていたのは暑さでした。暑さへの対策として、直射日光を防ぎ、かつ風通しを良くするヴェランダを各部屋の外に設け、広い面積を取っています。部屋からヴェランダにすぐ出て行けるフランス窓(窓枠が床面まであります)も必須。赤道近くだと季節によって太陽が南からも北からも差すため、北側にもヴェランダが張り出す四面タイプですが、泉布観は西日を避けての三面ヴェランダとなっています。
時に明治天皇は明治5年(1872)、同10年(1877)、同31年(1898)の計3回行幸。応接所の利用時、『史記』の一節「宝貨之行如泉布」から「泉布観」と命名したといわれています。単に泉布=貨幣という意味ではなく、ヴェランダからの景色にいたく感じ入っての命名ですから、大川の眺め=泉布のイメージを踏まえているのは間違いありません。この建築物の設計者の名前にもまた、「水(Waters)」が窺えるのは、一体どういう歴史の悪戯なのでしょうか。
© 2022 林 まこ
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