南大阪教会
今年の「イケフェス大阪」の最終日、
村野藤吾(1891~1984)物件としては、
「輸出繊維会館」しか観ることが出来て
いなかった昼下がり、昼食を抜いてまで
昭和町まで足を延ばすと、特別公開の
日本基督教団「南大阪教会」(大阪市
阿倍野区阪南町1-30-5)を鑑賞して
います。同教会は、大阪基督教会の50
周年事業として設立。藤吾が渡辺節
建築事務所を退所して独立する前に、
昭和3年(1928)、(匿名で)設計した
といわれ、個人としては事実上第1作と
なる物件です。鉄筋コンクリート3階
建ての教会塔が現存しています。老朽
化と収容力の問題から、昭和56年(
1981)、再び、藤吾の設計によって、
礼拝堂が建て替えられました。曲面の
壁の組み合わせから成り、開口部
各所から入り込む光や、祭壇上部から
伸びる木の大十字に、はっとさせられます。
参考文献:村野藤吾研究会 編 『村野藤吾建築案内』(TOTO出版)
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村野藤吾(1891~1984)物件としては、
「輸出繊維会館」しか観ることが出来て
いなかった昼下がり、昼食を抜いてまで
昭和町まで足を延ばすと、特別公開の
日本基督教団「南大阪教会」(大阪市
阿倍野区阪南町1-30-5)を鑑賞して
います。同教会は、大阪基督教会の50
周年事業として設立。藤吾が渡辺節
建築事務所を退所して独立する前に、
昭和3年(1928)、(匿名で)設計した
といわれ、個人としては事実上第1作と
なる物件です。鉄筋コンクリート3階
建ての教会塔が現存しています。老朽
化と収容力の問題から、昭和56年(
1981)、再び、藤吾の設計によって、
礼拝堂が建て替えられました。曲面の
壁の組み合わせから成り、開口部
各所から入り込む光や、祭壇上部から
伸びる木の大十字に、はっとさせられます。
参考文献:村野藤吾研究会 編 『村野藤吾建築案内』(TOTO出版)
☆
もやもやする感じが付きまとってきて、少し調べてみると、
信貴山「成福院」客殿もまた、村野藤吾の設計でしたよ。
昭和45年(1970)の施工。東側の灯籠の並んだ道を通り
過ぎたのだけれど、見上げることもなく、気付かずじまい。
もやもやする感じが付きまとってきて、少し調べてみると、
信貴山「成福院」客殿もまた、村野藤吾の設計でしたよ。
昭和45年(1970)の施工。東側の灯籠の並んだ道を通り
過ぎたのだけれど、見上げることもなく、気付かずじまい。
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tag : 近代建築