酔い守り

鞘堂の内を見上げてみると、牧村史陽
(1898~1979)が由来を記しています。
寛延2年は1749年。同年同月には、
豊竹座で「八重霞浪花浜荻」として
劇化上演されたらしいですが、近年、
舞台で観たことはないですねえ。以下に
全文を転記しています。句読点が無く、
スペースは見たままに空けてみました。
☆
かしく様は北の新地新屋敷の遊女でしたが 平素はおとなしい女に似げなく酒を飲むと変わったように前後を忘れるくせがあって兄の吉兵衛からいつも意見をせられていました ある日も酒のことからいさかいとなり ついにあやまって兄を傷つけてしまいました 兄殺しの罪でかしく様が処刑せられたのは今から二百十八年前の寛延二年三月十八日のことです
その処刑にのぞんで かしく様は油あげを所望しその油を髪につけてきれいにときつけ町々を引きまわされたので女の身だしなみを忘れぬ奥ゆかしさが評判となり 八重霞浪花濱荻その他の劇や浄るりに仕組まれて今にいたるまでその名をうたわれています
かしく様は最後の一念で 自分と同じ悪癖になやむ世の人のために悪酒を止め 酒に乱れぬ神霊とならんと誓願しましたが この墓に香華を供えて立願する人の絶えないのは こうしたわけであります
法清寺は俗にかしく寺といわれ 凶を転じて福となすよいまもり(酔い守り)を授与し 命日の三月十八日には毎年盛大なかしく祭りを執行しております
昭和四十二年三月十八日 牧村史陽撰並書
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