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八反田地蔵尊

前日は街道巡りの後、夜勤シフトが入っていました。2023_03_15_八反田地蔵尊(阿弥陀如来)
朝8時まで業務をこなしつつ、頭の中は大坂の街道を
駆け巡り……大阪市阿倍野区天王寺町南2丁目の
高松交差点の角。アルミサッシの窓が嵌め込まれた
大きな地蔵堂に「八反田一願地蔵菩薩」、右側には
大慈悲阿弥陀如来」とも書かれており、どっちやねん? 
両方、正解です。左脇に1体、センターに本尊である
オリジナルの「八反田地蔵尊」が祀られていました。
江戸時代、東成郡天王寺村で開発された新田(八反田)に
置かれていた地蔵尊が、石堂に再建されたのは元治元年
(1864)。石工の小西屋喜兵衛の手によるのでしょうか。
その後、昭和62年(1987)秋、仏教学者(?!)の鑑定の
結果、地蔵菩薩ではなく、阿弥陀如来であったことが
判明。翌63年(1988)2月には、新しく「八反田地蔵尊」が
造られ、開眼供養が営まれたそうです。つまり、地蔵堂
内に、新・地蔵尊と、旧・地蔵尊(実は阿弥陀如来)が
仲良く並んで立っているのでした。単なる剃髪でなく、
肉髻が明らかなので、何故に阿弥陀を地蔵と呼び習わして
きたのか? 逆に、その経緯が謎に思われるところ……
ぼくの近所の「沖向地蔵尊」も、地蔵を中尊にして、脇を
阿弥陀如来と勢至菩薩が務める不思議な三尊像ですが。
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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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