中濱代書事務所

東成区大今里西2丁目8番4号)の
敷地内で、往時、4代目・桂米團治
(1896~1951)が代書事務所を開設
していたらしい――そう、「代書(屋)」の
元ネタとなる実体験を得ていた訳です
ねえ。その書き下ろしが昭和14年
(1939)でして、初演70周年を記念した
顕彰碑が平成21年(2009)5月2日、
同区役所内に建立されています。除幕式には、故・桂米朝(1925~2015)、5代目・
桂米團治も参加したとのニュースを当時、目にしていましたか。桂小米朝が5代目を
襲名したのが前年(2008)10月4日でしたから、良いタイミングでした。ただ……ただ、
この襲名エピソードが脳裏を掠めるたび、ぼくは桂吉朝(1954~2005)師匠のことを。
ともかく(Wikipedia を見る限り、直接の関係は無さそうですが)、4代目・米團治の
名字「中濱」に対して、中道、本庄の北に在った中濱なのか?! と頭の中に青い閃光。
☆
儲かった日も 代書屋の同じ顔
(顕彰碑の)名前は、四代目桂米團治直筆
川柳は、五代目桂米團治直筆
☆
四代目桂米團治(本名・中濱賢三 明治二十九年九月三日~昭和二十六年十月二十三日)は、満十五歳で三代目桂米團治に入門し、二代目桂米之助を経て昭和十八年に四代目桂米團治を襲名した。上方落語衰退期に五代目笑福亭松鶴が主宰した「楽語荘」同人となり、「上方はなし」(昭和十一年四月~昭和十五年十月、四十九集を最後に休刊)の編集にも深く関わった。中濱静圃(セイホ)などいくつもの名前で健筆をふるい落語の保存と復興に力を注ぐかたわら、この地(当時は東成区大今里町六二九)に「中濱代書事務所」を開業。
落語「代書」はそうした代書人の体験をもとに書きおろした新作で、昭和十四年四月十五日、生玉御旅所境内松竹座での「上方はなしを聴く会」にて初演。代書事務所を訪れるさまざまな客に、当時の東成に暮らした人々の様子や戦前の事情も伺い知ることができる。のちに弟子の三代目桂米朝が笑いを加え、三代目桂春團治や二代目桂枝雀らに継がれて昭和の傑作として人気高い古典となった。
門人の桂米朝や三代目桂米之助をはじめ後進の指導にも尽力し、戦前から戦後、上方落語の最も苦難の時期を一心に支えた功労者であった。
東成区役所 東成芸能懇話会
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