広芝の辻
京都府宇治市を南北に縦貫する奈良街道の東西に
散在する8つの集落が、「五ヶ庄(ごかのしょう)」と総称
されていました。内訳は、広芝村・大和田村・岡屋
(おかのや)村・谷村・新田村・畑寺村・岡本村・上村。
「萬福寺」周辺も、京都府宇治市五ヶ庄でしたね。
☆
JR奈良線、京阪・宇治線を西へ越え、
京都府道245号を西進していますと、
しもた屋めいた「今川食堂」(京都府
宇治市五ヶ庄西浦58−2)が左手に
見え、その四つ辻が“広芝の辻”で
ありました。この南東角に道標(明治
21年建立)が建ち、北、西等と刻まれて
いますが、行く先までは判読できず。
何やら、観音像らしき物も彫られている
ような……すぐ右手(南側)には、半ば埋もれた「宇治村道路元標」。大正9年(1920)
施行の旧道路法、同法施行令に基づき、設置された模様。さらに、その右手に在る
地蔵堂には、「広徳地蔵尊」との扁額が掛かっていました。中の様子はよく窺えず。
散在する8つの集落が、「五ヶ庄(ごかのしょう)」と総称
されていました。内訳は、広芝村・大和田村・岡屋
(おかのや)村・谷村・新田村・畑寺村・岡本村・上村。
「萬福寺」周辺も、京都府宇治市五ヶ庄でしたね。
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京都府道245号を西進していますと、
しもた屋めいた「今川食堂」(京都府
宇治市五ヶ庄西浦58−2)が左手に
見え、その四つ辻が“広芝の辻”で
ありました。この南東角に道標(明治
21年建立)が建ち、北、西等と刻まれて
いますが、行く先までは判読できず。
何やら、観音像らしき物も彫られている
ような……すぐ右手(南側)には、半ば埋もれた「宇治村道路元標」。大正9年(1920)
施行の旧道路法、同法施行令に基づき、設置された模様。さらに、その右手に在る
地蔵堂には、「広徳地蔵尊」との扁額が掛かっていました。中の様子はよく窺えず。
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