ごて地蔵は何故ごてる?

ごて地蔵 大阪曽根崎警察署の裏手に、地蔵が祀られている。
 その名を「ごて地蔵尊」という。
 「曽根崎のお地蔵さん」として、
 曽根崎2丁目北町会の方々が整備している。
 昭和初期、梅田界隈で悪疫が流行したり、
 不測の災厄が頻発したことがあったそうだ。
 対して、「不動寺」の住職曰く
 「この地に埋没・放置されている地蔵尊がある。
 奉祀せよ」。その託宣に町内の有志が応え、
 見事発掘し、奉祀したところ、たちどころに霊験が表れ、
 悪疫・災厄は雲散霧消したという……。
 あまりに、ざっくりし過ぎた説明かと思われる。
 村上興匡氏の論文(1990年)から引用してみよう。
(ちなみに「ごて地蔵」は通称であり、本来は「梅田地蔵」が正式名称)
       ☆
先代が梅田地蔵の祀り出しに関わった不動寺の住職によれば、梅田地蔵は昭和4年に以前の警察庁舎の建設したときに署長官舎建設予定地(現在の曽根崎警察署と大和銀行の間くらいの場所)から出土したものだという。官舎を建てるのに邪魔であるというので、阪神デパートの裏あたりに移動してそこで祀っていた。ところが当時の署長が落馬事故で死亡したり、近隣に病気がはやるなど悪いことが続けておこり、お地蔵さまがごてて祟って)おられるのだろうという噂が立った。それで当時は御堂筋沿いにあった不動寺の先代住職が警察署の敷地内に祀りかえし、以後寺が豊中市に移転するまで地蔵盆の世話も不動寺が担当した。
不動寺が移転してからは太融寺が引き継いで地蔵の世話を行ってきた。昭和49年の現庁舎建設のときも、工事期間中は祟られることのないよう太融寺に預けたという。現在の地蔵の社はこのときつくられたものである。「梅田地蔵尊遷座建立奉納両芳名」帳をみると、近隣の商店街の有志だけでなく庁舎工事に関わったと思われる会社から、多額の寄付がなされていることがわかる。

       ☆
署長落馬事故死など、「不測の災厄」が具体的に言及されていて、興味深い。
ごてたのが地蔵尊そのもので、その怒りを宥める必要があるとなれば、
これは立派な祟り神だろう。霊験も何も、元凶やないか!と。
また地蔵尊は、埋没放置に対してごてたのでなく、
元々の地所から離れた場所に移されたのが気に染まぬなど、
説明板とはディテールが微妙に異なっている。
その他、上記論文には「梅田地蔵にお参りしてから馬券を買ったり
パチンコをしたりすると勝つ
」との謂れや、「験を担いでいくのか
地蔵の石像を欠いてゆくものがあり、何度か地蔵の顔を欠かれた

といった記述も見られる……そう言えば、ごて地蔵通りのすぐ南側は
現在、パチンコ・スロット「アストリアセンター」であるのだなぁ。

参考文献:村上興匡氏「大阪梅田地域の地蔵祭祀」(東京大学文学部宗教学研究室 東京大学宗教学年報、1990年3月)
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通りすがりの夢想家。元(にして最後の)「トーヨー新報」編集人。現在は、一介の編集素浪人?



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「トーヨー新報」は、昭和33年(1958)創刊。大豆加工品(豆腐・油揚げ、納豆、豆乳、湯葉、凍り豆腐、もやし等)、こんにゃく、総菜業界をメイン購読者層に、月3回の旬刊紙「トーヨー新報」や業界関連データブック『豆腐年鑑』を発行。平成25年(2013)12月21日号、第1851号をもって終刊に至る。

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