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阿部彦太郎(初代)

阿部彦太郎立像》遺像
現存、青銅、個人像
1905年 久野留之助鋳造
  【立像】
高さ:171㎝ 肩幅:42㎝ 肘の高さの幅:65㎝
  【台座】
51㎝四方、厚さ6㎝
  【像主】
 阿部彦太郎(1840~1904)は、近江国神崎郡能登川村(現 滋賀県東近江市能登川町)出身の相場師、実業家である。彼は幕末の開港直後から父とともに京都室町三条入ル役行者町7番地に洋反物を扱う店を経営して「布彦」と呼ばれたが、攘夷浪人の襲撃の標的とされた。貿易品を全て洛外で焼き捨て、儲けた金銀は町内年寄に寄託して助命された。彦太郎は幕末に大坂備後町で米穀商を、維新後は堂島に邸宅を設けて米穀を売買し、米相場で巨利を得て「阿部彦」「飛将軍」と呼ばれた。「これに対峙せる買方の敵将磯野小右衛門をして一敗地に塗れしめた」ほどであった。明治20年(1887)9月阿部一族は大阪の実業家とともに綿花需要の増大から内外綿花の販売を目的とする有限責任会社内外綿大阪北区源蔵町に設立し、彦太郎が初代社長に就任した。1888年大阪商船会社取締役に就任。東洋汽船会社、大坂露油合資会社など多くの株式会社に関わった。

       ☆
大阪市北区堂島浜で、誤った説明板の設けられた
阿部彦太郎之像」――2代目(1879-1965)でなく
――初代の説明は上記を参照してください。制作者は
近代彫塑の原点といわれる長沼守敬(1857~1942)。
大阪商工会議所」に建っている「五代友厚立像
(供出され、戦後に復元)制作者も守敬(もりよし)でした。
阿部彦太郎は初代から堂島に住まっており、さらには
源蔵町に「内外綿」が在ったという事実に、奇しき縁を
感じさせられます。当時の「難波橋を渡りまして、北へ
向かった場合、笊(いかき)屋でなく、「内外綿」が在る、と。

参考文献:石井元章『近代彫刻の先駆者 長沼守敬 ― 史料と研究』(中央公論美術出版)
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ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術史跡

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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