鉾流神事

朝を迎え、本日(24日)は「天神祭」
宵宮だから、Osaka Metro・堺筋線で
北浜へ向かい、「難波橋」を渡って
「鉾流橋」を目指すのでした。「鉾流橋」
上は大勢の人だかりですけれども、
「難波橋」から堂島川右岸を西進する
輩は報道関係者が大半で、意外に
空いているのでした。7時45分に本殿で
「宵宮祭」を斎行した神職と参列者の行列が、旧・若松浜(天満警察署前)の鉾流祭場
にて、“鉾流神事”を執り行うのが8時50分。神事の起源は平安時代後期、天暦5年
(951)まで遡れるそうです。浜から神鉾を流し、漂着した川下の地に御旅所を仮設して
いたのですが、やがて、御旅所は常設となり、鉾流神事も中止されました。元禄期
(1688~1704)、代わりに登場したのが御迎え船~
御迎え人形です。時代が下って、昭和5年(1930)、鉾流

神事が復興。本来の意味合いからすれば、形骸化した
ように思われなくもありませんが(神がどこに渡御するかの
自由は与えられておらず、一旦解放されたように見せるも、
所定の位置で回収される)、毎年7月24日、「天神祭」の
開幕を告げる重大なイベントであります。ぼくの立つ川縁は
「鉾流橋」上から見るより距離は迫っていますが、最前列に
出張らないと祭場の様子は全く窺えません(脚立もカメラ・
アームも用意している訳でなし)。鉾流歌が聞こえ始め、
大川(堂島川)に斎船(いわいぶね)が出て行くまでは、神事に
群がる関係者やカメラマンの後ろ姿を眺めていました。
斎船が川上に漕ぎ出され、神童らが白木の神鉾や人形
(の紙)を包んだ菰(こも)を手放し、祭場の浜に戻りますと、しばらく後から、御鳥船が
やって来ます。太鼓をどんどこ叩きながら、近付いてくる青い法被を着た野郎たちで、
神鉾だけを引き揚げて去って行きました。菰は水上に漂ったまま。そうして、時刻は
10時頃となっています。「難波橋」を南へ渡り、「花外楼」北浜本店を訪れるも、またもや
攻略できず。「葭屋橋」を通過し、「天神橋」では、「天神祭絵巻」陸渡御/船渡御の
タイル壁画を撮影して上り下りしました。「大阪天満宮」に帰る(?!)と、参集殿で公開
されていた御迎え人形「与勘平」(右画像)、「佐々木高綱(真田幸村)」、「胡蝶舞」
3点のスタンプを入手。翌日の本宮で「大阪天満宮」に立ち寄ることは諦めていました。
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