九之助橋
![]() |
![]() |
昭和2年完成(橋長34.28m、幅員11.50m) |
「末吉橋」と「東堀橋」の間に在るのが
「九之助橋」。西詰の南側には顕彰
碑が設けられ、北側に「九之助橋ビル」
が建つなど、由緒ありげ。北詰の南
側に建っている「倉橋写真館」も存在
感がありますが、顕彰碑のテキストを
書き起こしてみましょう(適宜改行)。
☆
九之助橋の架かる東横堀川は
大坂城外堀として豊臣秀吉により
天正13年(1585)に 開削された
ものといわれている 江戸時代
初期の慶安~万治年間(1648~
1660)の絵図には 既に九ノ介橋
として記載されていることから
最初の橋は東横堀川の開削後
しばらくのちに架橋されたものと
考えられる 橋名は 何らかの
関係者の人名に つながりそうに思えるが その由来は不明である
本橋の西詰北側には 住友家の銅吹所(銅の精錬所)があり 鋳物屋 鍛冶屋
などの工業の町であった
対岸の東詰は 幕府御用瓦師 寺島家の請地で多くの瓦ふき職人や瓦仲仕が
住んでいた
木橋であった九之助橋は 第1次都市計画事業により 大正15年(1926)
上路アーチ形式の永久橋に架け換え 今回の改修 (平成4年2月)では
アーチ形式や御影石積みの 親柱など旧来の景観を保全するよう配慮し
また照明灯は大正15年当時のものをモチーフとしてデザインした
- 関連記事
-
- 西国三十三所(07) (2023/09/19)
- 明日香村 (2023/09/18)
- 九之助橋 (2023/09/17)
- 東堀橋 (2023/09/16)
- LOUVRE (2023/09/15)
スポンサーサイト
tag : 橋