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梅ヶ枝橋の謎

旧「天満堀川」跡に架かっている「梅ヶ枝橋」の西詰には、2023_10_24_梅ヶ枝橋
フェンスで囲まれた緑地帯が在り、「梅ヶ枝橋」の橋名板
らしき物(親柱付き!)が見えるのは知っていますね。
僥倖にも接近できる機会を得たもので、接写を行ってみた
のですが、橋名板以外の何の情報も得られず、空振り。
現在の「梅ヶ枝橋(扇町バイパス)」の架設が昭和46年
(1971)ですから、それ以前の親柱なのだろう……としか
推測できません。この橋名のどこが謎か?と言いますと、
架かっているポイントが末広町(いや、むしろ、南扇町)
であり、現在の大阪市北区西天満辺りに位置していた
旧“梅ヶ枝町”(大正13年~昭和53年の町名)とは若干
(数百m)距離があるのが、疑問。旧“梅ヶ枝町”は、明治
33年4月に出来た東梅ヶ枝町(西成川崎)と西梅ヶ枝町
(北野)が合併して成った町名でありました。探偵なりの
解答は既に見えてきているのですが、物証に欠けるため、
その証拠をフェンスの向こうの親柱に求めた訳でしたけれども。
実は、梅ヶ枝町、南扇町も、「天神祭」の神霊移御祭で知られる(御旅社を有する)
綱敷天神社」の氏地なのです。例のオカルト人気の高い「xxx大明神」のお祓いを
行ったのも同社でしょう。思うに、南扇町の一帯が「綱敷天神社」の氏地であれば、
同社の属する神山町と接していることもあり、北の“梅ヶ枝町”と呼ばれて、不思議は
ないように思え……非常に想像力を刺激する文章を「大阪天満宮」の社報に発見。
       ☆
 綱敷天神社の御旅所は、元は太融寺町の「梅塚」にあったのですが、明治五年に「才田」に移され、その翌年には現在の茶屋町に移り、現在に至っています。
  「才田」とは文化一〇年(一八一三)ころに「梅ヶ枝新地」と呼ばれた地で、のちに「梅ヶ枝町北」と名付けられました。

       ☆
「梅ヶ枝町北(才田)」が、現在の南扇町辺りであれば、Q.E.D. ではないでしょうか?
しかし、「梅ヶ枝町」の北に別の“梅ヶ枝町”が在るのではなくて、旧来の「梅ヶ枝町」を
北と南に分けただけの(振興町会)名だとすれば、また、別の線を探らねばなりません。

参考文献:「大阪天満宮社報 第58号 てんまてんじん」(大阪天満宮社務所)
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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