fc2ブログ

梅田貨物駅

この頃、籤運が悪い。「阿倍野市民学習センター」の講座2023_11_16_「この地に梅田駅ありき」
なにわ八百八橋物語」に応募していたところ、外れて
しまいましたねえ。逆に当選していたGさんと、講座の後で
街歩きの下見のアポイントメント。講座でも街歩きを行うと
あって、ハンデを埋めるため、ぼくも独りで(前夜に続いて)
下見の下見。「綱敷天神社」から萬歳橋筋(橋名としては
萬載橋」か)を北上し、中崎町に逸れ、興味深いビルに
巡り合い、(先週に引き続き)「南蛮文化館」を訪ねました。
「原の城」も、舟越保武(1912~2002)の作品でしたか。
中津陸橋」上から謎の掘削工事を観察し、(以前、Eさんと
歩いた時は目に留まらなかった)「この地に梅田駅ありき
碑(右画像)も撮影。この場合の「梅田駅」は、貨物扱いを
分離し、昭和3年(1928)12月に営業開始した貨物駅を
指しています――元は、やはり明治7年(1874)の12月、
大阪駅貨物取扱所としてのスタート。さて、16時30分、
「紀伊國屋書店」阪急神戸線側の前でGさんと落ち合い、
「南蛮文化館」まで再び踏破。90分の予定が、60分後には
到着していたのよね。「串まん」中津店に寄り、反省会かな。
       ☆
          この地に梅田駅ありき

 この地での鉄道貨物の取扱いは、大阪・神戸間に関西初の鉄道が完成した際に、大阪駅貨物取扱い所として明治7年(1874年)12月に開始された。その後、大阪駅は客貨の取扱いが著しく増加したため、貨物扱いを分離し、梅田駅として昭和3年(1928年)12月に営業を開始した。戦後になり、昭和47年(1972年)3月コンテナホームを増設、取扱い能力は年間450万トンに増強され、その後、今日まで大阪のメインの貨物駅として活躍してきた。昭和62年(1987年)の国鉄改革に伴い移転が決定され、この度、梅田駅は、その業務を吹田貨物ターミナル駅百済貨物ターミナル駅に承継し、平成25年(2013年)3月31日をもって138年の永い歴史を閉じ、梅田信号場となった。
 ここに、これまで、この地で、大阪の生活と産業を支えてきた梅田駅に心より感謝の気持ちを捧げる。
     平成25年4月1日            西日本旅客鉄道株式会社
                            日本貨物鉄道株式会社
関連記事
スポンサーサイト



テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡美術呑む

コメントの投稿

Secret

梅田信号場

この地に梅田駅ありき」の
碑文を追記(転記)しました。
カレンダー
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
Access Counter
総閲覧者数:
Online Counter
現在の閲覧者数:
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリー
プロフィール

ぽか

Author:ぽか
⇒ 旧プロフィール

歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
Amazon
QRコード
QR
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メルマガ登録はこちらから
購読希望者はメール・アドレスを書き入れて「送信」してね!
SOUKEN