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東光院・萩の寺

年末中に “西国三十三所観音巡礼” を 第十番札所まで2023_12_29_富士山
と企んでいたのですが、それどころではなくてね。帰省中の
相方からメールが届き、4時36分、尊父が身罷ったと知る。
誰の父であっても、いつかは言葉を失ってしまうものだから、
言葉を残し、その言葉を伝えていく者が生きてあってほしい
と願うばかり。ぼくはぼくで(空っぽなりに)身体を動かして、
益体もない言葉を吐き出し続けているから、どこかに届け。
       ☆
阪急・宝塚線で曽根へ向かいました。「東光院 萩の寺
(大阪府豊中市南桜塚1丁目12-7 )を目指したところ、
そんなつもりはなかったのに、“新西国霊場”の第十二番
札所だったりします(順番に打ちたいので、手は出さない)。
       ☆
2023_12_29_東照閣仏舎利殿 かつて大池が在ったと思われる跡が
 「萩の寺公園」となり、「延命橋」が
 架かっていました。天平年間(735)、
 行基菩薩の草創といわれており、
 孝徳天皇の御宇、豊崎村下三番(現
 ・大阪市北区中津)で、行基が火葬
 方法を伝授したことに始まり、当時、
 淀川水系に群生していたを供花
 として霊前に捧げたことが、同寺の
萩の植栽の起縁といいます。「南浜墓地」 ⇒ 行基 ⇒ 「東光院 萩の寺」 ⇒ 「
萩之橋
」 ⇒ 小林一三 ⇒ 阪急電車……と、全てがつながっているのでした。しかし、
まだ終わりません。小林一三の好寄者ぶりを反映してか?! 境内には、子規や虚子
らの句碑が蝟集している訳ですが(仏像類については後述)、左上に掲げた画像は
あごなし地蔵堂」を含む「東照閣仏舎利殿」。寛文5年(1665)12月に完成した
仏舎利殿、元はと言えば、「川崎東照宮」(大阪天満)の「本地堂」でありました! 
頭ではわかっていたけれど(学生時代にも、阪急電鉄「西国七福神集印めぐり」で
訪れているはずだけれど)、豊中市に在るのに、大阪市北区との濃い縁に当てられ、
眩暈に襲われた次第。ここは冷静に、薬師如来(旧川崎東照宮本地仏)と毘沙門天の
御朱印を頂きます。曽根から(大阪)梅田を経て、天神橋筋六丁目へ帰ると、「摂津
国分寺」と「淀川天神社」にも詣でて、「国分寺」では今回、不動尊の御朱印を授かり。
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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築仏像史跡

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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