浜名納豆の系譜
納豆は納豆菌によって発酵した大豆発酵食品だが、浜納豆は「納豆」という名前が付いているのに、いわゆる「糸引き納豆」とは違う。麹菌を使って発酵しているので、厳密には納豆と呼べない。総務省統計局の家計調査の品目分類でも、納豆ではなく「他の大豆製品」として区分されている。
静岡・浜名湖畔に位置する大福寺で作られたことから「浜名納豆(=浜納豆)」と呼ばれ、また京都の寺名から「浄福寺納豆」「大徳寺納豆」、あるいは総称として「寺納豆」と呼ばれることもある。豊臣秀吉も愛用し、徳川家康も好んだらしい。
浜名納豆は「唐納豆」という別名もあり、その名が示すとおり源流は古代中国の調味料であり、現代中国でも食べ続けられている豆豉(ドウチ)の系統の食品。その製法について、1〜2世紀の後漢時代の『釈名』には「蒸した豆をむしろに広げ、かやで覆ってカビを生やし、これをかめに入れて漬け込んだもので、カビなどによって醸しだされた風味は複雑で、五味を調和して作る甘嗜(珍味)である」と注釈している。
豆豉の製法は古墳時代に渡来したといわれ、奈良時代、既に宮内省の大膳職で作られており、当時は「豉(くき)」という食べ物だった。塩の分量によって「淡豉(たんし)」と「鹹豉(かんし)」の2種が、寺社や調味料を専門に製造する醤院で造られ、月料として官吏に支給されていたそうだ。
浜納豆について、17世紀末の『本朝食鑑』には次のように記されている。
「納豆は豉(くき)に似ているが、製法は豉と異なっている。二種の納豆があり、ひとつは今の糸引き納豆で、他は、浜名納豆、寺納豆、唐納豆などと呼ばれるもので、炒った小麦、炒った大麦、および煮た白大豆の三種の麹を塩水に浸して混ぜ合わせ、押しをして発酵させ、三〇日ほど経て撹拌し、しその葉、穂、実、それに蓼の葉、穂、生姜、山椒の樹皮等を加え貯蔵する。遠州の浜名納豆は、家康が駿河城におわしたとき、大福寺、摩迦耶寺の僧に命じてつくらせたもので、味は甘、鹹、微苦を帯びている。ただし、山椒の皮は、尋常なものでなく、甚だ辛いものである。その製法は秘密で知る人は少ない」
※「豉」は、「豆」偏に「支」。
参考文献:吉川誠次・大堀恭良『日本・食の歴史地図』(日本放送出版協会)
静岡・浜名湖畔に位置する大福寺で作られたことから「浜名納豆(=浜納豆)」と呼ばれ、また京都の寺名から「浄福寺納豆」「大徳寺納豆」、あるいは総称として「寺納豆」と呼ばれることもある。豊臣秀吉も愛用し、徳川家康も好んだらしい。
浜名納豆は「唐納豆」という別名もあり、その名が示すとおり源流は古代中国の調味料であり、現代中国でも食べ続けられている豆豉(ドウチ)の系統の食品。その製法について、1〜2世紀の後漢時代の『釈名』には「蒸した豆をむしろに広げ、かやで覆ってカビを生やし、これをかめに入れて漬け込んだもので、カビなどによって醸しだされた風味は複雑で、五味を調和して作る甘嗜(珍味)である」と注釈している。
豆豉の製法は古墳時代に渡来したといわれ、奈良時代、既に宮内省の大膳職で作られており、当時は「豉(くき)」という食べ物だった。塩の分量によって「淡豉(たんし)」と「鹹豉(かんし)」の2種が、寺社や調味料を専門に製造する醤院で造られ、月料として官吏に支給されていたそうだ。
浜納豆について、17世紀末の『本朝食鑑』には次のように記されている。
「納豆は豉(くき)に似ているが、製法は豉と異なっている。二種の納豆があり、ひとつは今の糸引き納豆で、他は、浜名納豆、寺納豆、唐納豆などと呼ばれるもので、炒った小麦、炒った大麦、および煮た白大豆の三種の麹を塩水に浸して混ぜ合わせ、押しをして発酵させ、三〇日ほど経て撹拌し、しその葉、穂、実、それに蓼の葉、穂、生姜、山椒の樹皮等を加え貯蔵する。遠州の浜名納豆は、家康が駿河城におわしたとき、大福寺、摩迦耶寺の僧に命じてつくらせたもので、味は甘、鹹、微苦を帯びている。ただし、山椒の皮は、尋常なものでなく、甚だ辛いものである。その製法は秘密で知る人は少ない」
※「豉」は、「豆」偏に「支」。
参考文献:吉川誠次・大堀恭良『日本・食の歴史地図』(日本放送出版協会)
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