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蜆橋銅板標

大阪市北区曽根崎新地に残されている「蜆橋銅板標」に2024_01_04_蜆橋銅板標
ついては、もう記事に書き起こしたものと早合点していた
ところ、どうやら、街歩きガイドに際して作成したスクリプト
文中の説明と取り違えていたようです。改めて、経緯を
略述すると、「蜆橋」南詰辺りで営業を行っていた「高橋
盛大堂
」の主人が昭和2年(1927)、私費を投じて、店舗
壁面にレリーフ碑を設置。「盛大堂(製薬)」は昭和42年
(1967)、大阪市北区から社屋を移転し、跡地に建つのが
梅田滋賀ビル」(滋賀銀行)です。レリーフ碑自体は、
「盛大堂」旧店舗の取り壊しを行った工務店の倉庫で十年
以上も眠らされた後、昭和57年(1982)になって、現在地
(緑地)に建立される運びとなりました。すぐ北側には、大阪
市が設置した「曽根崎川跡」碑が在り、南側には地上機器
4
(周辺案内図・新地本通り案内図)も置かれていますよ。
下記が、演劇研究家・木谷蓬吟(1877~1950)の碑文。
       ☆
小春治兵衛の涙川 そこに架けられた いたいけなる蜆橋
 大近松の霊筆に彩られて 世界的に尽きせぬ 艶名を謳われてゐる
其の蜆橋志ヾみ川も大火後 地下に埋れては貝殻の 跡形なきを憾みとしたが  
盛大堂主高橋氏の配剤により 茲に不朽の記念標 誕生を見ること
  将に起死回生の快事である
                            昭和二年夏越月
                             木谷蓬吟 識


参考記事:心臓薬アポセーフ本舗 有限会社盛大堂製薬 ― 会社概要
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡文楽

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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(自称)。
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