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金銀分析所

半ドンで事業所を出ますと、時間が余っていたので、「天満宮
是ヨリ東七丁
」(1町=約109m)の道標から東へ。老松通り
鳥居筋線(=大阪天満宮参道)を踏破します。「老松公園」、
「たぬき小路」、「山野家住宅」、「樽屋橋」、「お吉稲荷大明神」、
天満教会」、「(銅板製)大鳥居」、「とりゐ味噌」(小売店と
しての営業は終了。昨年10月1日から味噌製造専業
)をチェック。
大川まで南下し、旧町名継承碑等を押さえながら、東へ進みます
と、「将棊島粗朶水制跡」碑の前で、周囲をじっくりと眺め回し、
「天満橋」~「天神橋」~「難波橋」を堪能して、「鉾流橋」を渡り、
大阪府立中之島美術館」に上がりました。14時から講座です。
       ☆
ところが、会場は別館2階の多目的スペース3でしたから、一旦、
本館を出て、北東角から入り直し。「OSAKAあれこれ街歩き
講座Ⅴ
」として、森島克一氏の「事業家・五代友厚の金銀
分析所 ~その知られざる出発点~
」を聴きます。通り一遍な
五代友厚の生涯のダイジェストでなく、“金銀分析所”とテーマを
絞り切っていたのが良かったです。説明は訥々としていましたが、
レジュメも資料も用意周到でしたから、苦も無く、拝聴できました。
先日、「大阪企業家ミュージアム」で入手していた冊子「五代
友厚がわかる本
」も早速役に立ってくれ……明治2年(1969)に
下野した五代が、真っ先に興したのが金銀分析所でした。ただし、
従来は、明治2年10月、西成郡今宮村に分析所を開設した――
といわれていましたが、その頃は薬品について情報収集している
準備段階。書簡類を挙げた上で、「五代が今宮に金銀分析所を
開業したのは1871年(明治4年)8月ごろと考えられる
」と論証して
くれました。天満人として激しく興味をそそられるのは、分析所が
当初は天満伊勢町にあって、のち川崎村樋之口に移転した
可能性もある
」という今宮以前の所在地の問題で、造幣寮(=
大阪造幣局)の立地を考えれば、さもありなん。脳内を明治時代の
あれやこれやでぱんぱんに膨らませ、天満堀川跡を北上して帰宅。
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 講座史跡

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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