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五大力(1)

並木五瓶が(1747~1808)が歌舞伎作者として不動の地位を築いた作品が、北新地(きたのしんち)を舞台にした「五大力恋緘」(1794)である。五大力とは、江戸時代の女性が男に変わらぬ愛を誓うときに書いたおまじないの言葉で、北新地の遊女菊野が薩摩藩の侍 勝間源五兵衛のために、三味線の裏に五大力と書く名場面がある。元文2年(1737)に起こった実話を題材にしたもので、当時は心中物が禁じられていたので、源五兵衛が恋のもつれから菊野ら5人を殺傷したこの事件物が、人々の人気を博した。
       ☆
上記は文化銘板(パネル)「わが北新地」10点中の1点、
『五大力恋緘』の舞台となった北新地」(地上機器B)
からの引用。正確に上演史を紐解いてみますと、寛政6年
(1794)2月、大坂中の芝居で、『島廻戯聞書(しまめぐり
うそのききがき)
が上演。その一部のみが大入りとなった第
3~5幕を独立させ、同年5月、京都四条西側芝居で上演
された際に、『五大力恋緘』という外題が初めて成立。
同年秋、五瓶は年300両のギャラで、江戸の都座に下って
います。寛政7年(1795)正月、五瓶が江戸で当てた演目
『江戸砂子慶(きちれい)曽我』の2番目に組み込まれたのが
「五大力」の書き替えでして、曽根崎新地は深川に、芸子
菊野は芸者小まん――などと改訂されたようです。江戸で
『五大力恋緘(こいのふうじめ)』という外題が確立するのは寛政
10年(1798)9月、桐座での上演時。銘板に話を戻しますと、
心中物が禁じられていたので」という理由が、単純に弱い。
猟奇的な場面を取り扱った演目は他にも多く、五瓶の手柄
とは言えません。では、「実話」物が受けたのか? タイム
ラグが酷過ぎ。半世紀以上が経過していますし、“曽根崎
五人斬
”を取り扱った先行作品として、安永6年(1777)の
『置土産今織上布』(五人斬+『心中天網島』)、天明8年
(1788)の『国言詢音頭』(ノワールとして最高)、寛政4年
(1792)の『五人切五十年廻』、同年 『薩摩節五人切子』等
が挙げられるでしょう。通常ならば、「また、五人斬かよ!」と
げんなりさせられそうなところ、「五大力」の趣向を取り入れ、
主人公(源五兵衛)を敵役でなく、立役として創出した点が
五瓶の発明でした。この流れは、文化3年(1806)の単純な
セルフ・リメイク 『略(かきかえて)三五大切』、そして、文政8年
(1825)の鶴屋南北 『盟(かみかけて)三五大切』(五大力+
忠臣蔵)の流れへと連なっていきます。では、「五大力」とは?

参考文献:松崎仁『五大力恋緘』(講談社学術文庫)
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テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 演劇史跡

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