旧真田山陸軍墓地

知らない人は目の当たりにして、ぎょっとするかも。
真田山公園北側は旧「真田陸軍墓地」になっていて、
オベリスク様の墓石が、整然と林立しているのです。
うららかな春の日差しを受けて、物言わぬ石柱たち。
☆
これは大日本帝国陸軍が明治4年(1871)に設立した
わが国最大・最古の陸軍軍人墓地に当たります。
時の大村益次郎は、近代陸軍創設を大阪から着手。
大阪城周辺に兵学寮、兵隊屯所、造兵寮、衞戍病院
などを設立して、日本最初の徴兵制施行が明治4年。
同時に、真田山陸軍墓地が設立された訳ですね。
☆

ただし、ほとんどは日露戦争以前といいます
(西南戦争、日清戦争なども含めまして)。
多くの軍役夫など民間人は和泉砂岩製
……対して、将校の墓石は花崗岩製です。
☆
日中戦争~太平洋戦争と時代も後になると、
各戦死者に墓石を一々あてがう余裕も無く。
第二次大戦までは陸軍が管轄し、衛兵も
配置され、厳重に管理されていたそうですが。
戦後しばらくは国家祭祀が禁じられたことから、真田山陸軍墓地も荒れ放題のまま。
墓碑(特に安物の和泉砂岩製)の剥離・崩落が進んでしまいました。
現在、公益財団法人「真田山陸軍墓地維持会」が保存事業を行っているようです。
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