蘇えりし者
4月30日(土)、映画を観に行きました。
JR大阪駅のノースゲートビル11F、
「大阪ステーションシティシネマ」を初利用。
スクリーン12で、20時20分からの回。
アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の
『レヴェナント:蘇えりし者』となります。
校閲マンとしたらば、“蘇”という漢字について
(新聞漢字表に無い云々以前に)
“蘇える”という送り仮名は無いでしょう、と。
正しく「蘇りし者」と表記してしまうと、いかにも
ありがちなタイトルなので、敢えて間違った訳なんでしょうけれども……。
☆
上映時間157分。骨太な復讐譚かと思いきや、過酷なようでいて清冽な
自然の美をとことん、描写し尽くした作品でした。水、氷、岩肌、樹木……雪、雲、空。
アカデミー賞という観点から、まず、目が行ってしまいがちなのは
レオナルド・ディカプリオの主演男優賞初受賞ですが、
アレハンドロ・G・イニャリトゥの監督賞(2年連続)、
エマニュエル・ルベツキの撮影監督賞(3年連続)こそ、より恐るべし、です。
☆
米国開拓史時代、ミズーリ州山岳地帯で、毛皮商隊が行軍中。
主人公のヒュー・グラス(罠猟師?)はガイド役を務めています。
息子のホークは、彼と先住民族・ポニー族の娘の間に生まれた子。
ヘンリー隊長(ドーナル・グリーソン)の指揮下には、
以前、アメリカ・インディアンに捕らわれ、頭皮を剥かれた
ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)も同行しています。
先住民族への恨みもあって、妻と息子を守るために同胞(=白人)を殺した
という噂のあるグラス親子を、何かにつけて挑発している訳ですが……。
開拓史時代には、様々な国の商隊が流れ込み、先住民族間でも紛争があります。
冒頭、アスカラ族の襲撃を受け、拠点となる砦を目指して撤収するヘンリーの部隊。
その途次、ヒュー・グラスがグリズリーに襲われ、瀕死の重態を負ってしまいます。
(グリズリーが襲ってきたのも、自分の仔らを守るためだったのですが)
背後に迫る敵を恐れ、グラスを残すことになり、警護に数人 付けるのですが、
その中にフィッツジェラルドとホークもいて……身動きの取れないグラスの目の前で。
☆
ヒュー・グラスを動かす、そうして、この世界につなぎ留める言葉が2つほどあります。
ひとつは亡くなった妻の言葉。樹木を引き合いに、真の強さを教え諭す科白です。
どんな風が吹き付けてきても、根を深く張った木は倒れないという……。
もうひとつはやはり(吊るされる)ポニー族の男の示唆した“復讐”とは別のベクトル。
決して諦観でない、復讐は“神に委ねる”との教えは、グラスにも届いていたのか。
最期に、自分と同じ境地に陥れようとするフィッツジェラルドの誘い水には乗らず。
どれだけ人間的な、血なまぐさい惨劇が繰り広げられようと、
個々の愛憎を超えたところで、大自然は飄々とした風情で広がっていました。
ぼくのいちばん大好きなシーンは、グラスの心身の傷が癒えかけている半ば、
救ってくれたポニー族の男と、天上から降る雪を舌の上で受け止め、
互いに顔を見交わして、笑みを浮かべるシーンです。言葉なんて要らないのです。
(全編を通して、ヒュー・グラスの口数は少なく、大半はポニー族の言葉のようでした)
【ネタばれ?】
主人公は復讐相手を追いつつ、また別の敵(アスカラ族)からも追われるという構造。
終盤、息子を殺したフィッツジェラルドを追い詰めながらも、とどめは刺さない。
中盤で、ヒュー・グラスを救い、つかの間の安らぎを与えてくれた
ポニー族の男の言葉が、身に染みていたのかもしれません。
復讐は神に委ねる、そうして、滔々と流れる川に敵の身体を放します。
ポニー族の男は、フランスの商隊から“野蛮(savage)”として殺されましたが、
ヒュー・グラスは同隊から馬を取り戻しがてら、先住民族の娘を助けています。
実は、その娘・ポワカを奪還しようと、アスカラ族の追跡行は始まっていたのです。
ポワカを従えたアスカラ族は、川を隔てて ヒュー・グラスの姿を認め、歩を止めます。
此岸と彼岸との間で、フィッツジェラルドが“復讐”を受けたことで、グラスは
復讐の悪循環から解き放たれ、過去の負い目(先住民族~歴史)からも逸脱。
目の前に浮かぶ亡き妻の幻影も消え去り、ただ茫漠とした風景が広がるのでした。

JR大阪駅のノースゲートビル11F、
「大阪ステーションシティシネマ」を初利用。
スクリーン12で、20時20分からの回。
アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の
『レヴェナント:蘇えりし者』となります。
校閲マンとしたらば、“蘇”という漢字について
(新聞漢字表に無い云々以前に)
“蘇える”という送り仮名は無いでしょう、と。
正しく「蘇りし者」と表記してしまうと、いかにも
ありがちなタイトルなので、敢えて間違った訳なんでしょうけれども……。
☆
上映時間157分。骨太な復讐譚かと思いきや、過酷なようでいて清冽な
自然の美をとことん、描写し尽くした作品でした。水、氷、岩肌、樹木……雪、雲、空。
アカデミー賞という観点から、まず、目が行ってしまいがちなのは
レオナルド・ディカプリオの主演男優賞初受賞ですが、
アレハンドロ・G・イニャリトゥの監督賞(2年連続)、
エマニュエル・ルベツキの撮影監督賞(3年連続)こそ、より恐るべし、です。
☆
米国開拓史時代、ミズーリ州山岳地帯で、毛皮商隊が行軍中。
主人公のヒュー・グラス(罠猟師?)はガイド役を務めています。
息子のホークは、彼と先住民族・ポニー族の娘の間に生まれた子。
ヘンリー隊長(ドーナル・グリーソン)の指揮下には、
以前、アメリカ・インディアンに捕らわれ、頭皮を剥かれた
ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)も同行しています。
先住民族への恨みもあって、妻と息子を守るために同胞(=白人)を殺した
という噂のあるグラス親子を、何かにつけて挑発している訳ですが……。
開拓史時代には、様々な国の商隊が流れ込み、先住民族間でも紛争があります。
冒頭、アスカラ族の襲撃を受け、拠点となる砦を目指して撤収するヘンリーの部隊。
その途次、ヒュー・グラスがグリズリーに襲われ、瀕死の重態を負ってしまいます。
(グリズリーが襲ってきたのも、自分の仔らを守るためだったのですが)
背後に迫る敵を恐れ、グラスを残すことになり、警護に数人 付けるのですが、
その中にフィッツジェラルドとホークもいて……身動きの取れないグラスの目の前で。
☆
ヒュー・グラスを動かす、そうして、この世界につなぎ留める言葉が2つほどあります。
ひとつは亡くなった妻の言葉。樹木を引き合いに、真の強さを教え諭す科白です。
どんな風が吹き付けてきても、根を深く張った木は倒れないという……。
もうひとつはやはり(吊るされる)ポニー族の男の示唆した“復讐”とは別のベクトル。
決して諦観でない、復讐は“神に委ねる”との教えは、グラスにも届いていたのか。
最期に、自分と同じ境地に陥れようとするフィッツジェラルドの誘い水には乗らず。
どれだけ人間的な、血なまぐさい惨劇が繰り広げられようと、
個々の愛憎を超えたところで、大自然は飄々とした風情で広がっていました。
ぼくのいちばん大好きなシーンは、グラスの心身の傷が癒えかけている半ば、
救ってくれたポニー族の男と、天上から降る雪を舌の上で受け止め、
互いに顔を見交わして、笑みを浮かべるシーンです。言葉なんて要らないのです。
(全編を通して、ヒュー・グラスの口数は少なく、大半はポニー族の言葉のようでした)
【ネタばれ?】
主人公は復讐相手を追いつつ、また別の敵(アスカラ族)からも追われるという構造。
終盤、息子を殺したフィッツジェラルドを追い詰めながらも、とどめは刺さない。
中盤で、ヒュー・グラスを救い、つかの間の安らぎを与えてくれた
ポニー族の男の言葉が、身に染みていたのかもしれません。
復讐は神に委ねる、そうして、滔々と流れる川に敵の身体を放します。
ポニー族の男は、フランスの商隊から“野蛮(savage)”として殺されましたが、
ヒュー・グラスは同隊から馬を取り戻しがてら、先住民族の娘を助けています。
実は、その娘・ポワカを奪還しようと、アスカラ族の追跡行は始まっていたのです。
ポワカを従えたアスカラ族は、川を隔てて ヒュー・グラスの姿を認め、歩を止めます。
此岸と彼岸との間で、フィッツジェラルドが“復讐”を受けたことで、グラスは
復讐の悪循環から解き放たれ、過去の負い目(先住民族~歴史)からも逸脱。
目の前に浮かぶ亡き妻の幻影も消え去り、ただ茫漠とした風景が広がるのでした。
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tag : 映画
コメントの投稿
savage
残酷なのは文明なのか? それとも、自然なのか?
ベイン
トム・ハーディを『バットマン ライジング』(2012)で覚えていたので、
もっとマッチョじゃなかったっけ?と、記憶修正するのに手間取りましたw
もっとマッチョじゃなかったっけ?と、記憶修正するのに手間取りましたw