消えた上山池
大阪大学・豊中キャンパスまで
「妖怪古生物展」を観に行った日のルートは、
東口から総合グラウンドを右手に見て進み、
「待兼山修学館」を目指したものでした。
途中、大阪大学会館(=旧イ号館)の辺りで、
目の前に中山池が開けてくると、
非常に懐かしい気がしたものですが……。
阪急・石橋駅を利用して通う学生らは、
阪大坂を上り、石橋口から入ることになり、
自然と中山池の在る光景に馴染みます。
ぼくは東口から構内に入り、すぐに眼前に飛び込んだ中山池に対して
昔と全く同じであるかのように錯誤したものですが、現在の豊中キャンパスのマップと、
2000年頃の同キャンパスのマップとを引き比べてみると、
施設や棟の異同だけでなく、地形そのものが変動していることに気付きます。
中山池の東に在った上山池が埋め立てられ、学生交流棟が建っているのです。
そう言えば、昔、言語文化部の裏手に池があったような、無かったような……。
まだ大阪モノレール線も、柴原まで開通していなかったような遠い昔のことです。

「妖怪古生物展」を観に行った日のルートは、
東口から総合グラウンドを右手に見て進み、
「待兼山修学館」を目指したものでした。
途中、大阪大学会館(=旧イ号館)の辺りで、
目の前に中山池が開けてくると、
非常に懐かしい気がしたものですが……。
阪急・石橋駅を利用して通う学生らは、
阪大坂を上り、石橋口から入ることになり、
自然と中山池の在る光景に馴染みます。
ぼくは東口から構内に入り、すぐに眼前に飛び込んだ中山池に対して
昔と全く同じであるかのように錯誤したものですが、現在の豊中キャンパスのマップと、
2000年頃の同キャンパスのマップとを引き比べてみると、
施設や棟の異同だけでなく、地形そのものが変動していることに気付きます。
中山池の東に在った上山池が埋め立てられ、学生交流棟が建っているのです。
そう言えば、昔、言語文化部の裏手に池があったような、無かったような……。
まだ大阪モノレール線も、柴原まで開通していなかったような遠い昔のことです。
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