蘇我入鹿首塚

「蘇我入鹿首塚」についても触れたかと思いますが、
あくまで伝承であって、 645年の「乙巳(いっし)の変」、
いわゆる「大化の改新」で惨殺された蘇我入鹿の
首が飛んできただの、トンデモ説はいくつでもあります。
飛鳥寺(安居院)の西門から100mほどの位置に在る
五輪塔で、高さ149cmの花崗岩製となりますが、
岡本精一『飛鳥寺と聖徳太子』を繙いてみますと――。
「飛鳥寺の西にある五輪塔は、入鹿の首塚と普通
いわれているが、『元亨釈書』には恵聡の供養塔と
述べている。五八八年、令昭と共に戒師として
来日した恵聡とは別人である、といわれている。
村の古老の話によると、明治時代の中ごろまで五輪塔が二つあった。それは
入鹿と恵聡の供養塔だといわれている」……失われた塔の行方が気になります。
参考文献:岡本精一『飛鳥寺と聖徳太子』(飛鳥寺)
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