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糸引き納豆の起源

日本の糸引き納豆については、中国から伝来した、というのが定説になっているが、それは本当に正しいのか? 東京農業大学の小泉武夫教授は異を唱えている。

寺納豆、浜納豆、大徳寺納豆などの糸を引かない塩辛納豆については、奈良時代から宮内省大膳職で作られていた豉(くき)の一種であり、平安時代後期の『新猿楽記』(藤原明衡著、1058〜66年)にも「精進物、春、塩辛納豆」の記述が見え、中国から伝来したことに間違いはないようだ。しかし、糸引き納豆に関しては、大陸から伝来しなくても、日本で独自に発生し得たものだ、と小泉教授は考える。

糸引き納豆の日本起源説の根拠には、日本の醤油や味噌造りが奈良時代から行われていて、「穀醤(こくびしお)」や「未醤(みしょう)」として確立していたことがまず挙げられる。ちなみに「未醤」とは、味噌の原型となったもの。醤油や味噌を造るには、大豆に「花」と呼ばれる麹カビを付けて、大豆麹を作らなければならない。その昔、この大豆麹を作る際に、まず稲わらで作ったむしろを敷き、そこに煮た大豆を広げ、その上にさらに稲わらを被せて作っていた。すると、稲わらに生育していた麹菌と納豆菌は、同時に大豆上で繁殖し、糸を引く大豆麹を作ってくれる。

この時、40℃くらいの高い温度で麹を作ると、高温に対して強い納豆菌の繁殖が優勢となり、麹菌は繁殖が抑えられて、糸引き納豆だけが出来上がることになる。逆に、温度が40℃以下になると、納豆菌は繁殖できずに、麹菌の方が繁殖する。昔は温度計など無かったので、手で触った時の大体の感覚で温度を計っていた。煮た大豆をむしろの上に載せる温度の微妙な違いで、麹になるか、糸引き納豆になるかが決まっており、それは作り手の判断に委ねられていたのだろう。つまり、大陸から糸引き納豆が渡来してくる必要はなく、醤油・味噌造りが行われていた奈良時代には、同時に糸引き納豆も作っていたはずだ、と小泉教授は確信している。

※「豉」は「豆」+「支」

参考文献:小泉武夫『納豆の快楽』(講談社文庫)
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