倉敷の「今橋」

今橋02 「大原美術館」の前を流れる倉敷川に架かっているのが
 「今橋」です。元々運河として使用されていた倉敷川は、
 昭和34年(1959)、児島湾締切堤防の完成によって、
 (同堤防によって出来た児島湖日本最初の人造湖
 運河としての機能を喪失。しかし、昭和43年(1968)
 以降、整備が進められ、昭和54年(1979)には晴れて、
 倉敷川畔が晴れて重要伝統的建造物群保存地区
 指定されました……工業開発と裏腹に並行して、
 伝統保存の動きが出てきたようにも読めますけれども。
        ☆
 今橋自体は当然ながら、美観地区が成立するより随分と
 前に建造済みです。大正15年(1926)の天皇訪問に
 合わせて建てられたそうで、デザインは児島虎次郎
やっぱり、そう来たか……と唸らざるを得ませんが、その設計を命じたのが大原敬堂
(=孫三郎)となります。黄金コンビというか、最強タッグ・チームの風格ですね。
       ☆
さて、今橋の欄干にはが彫られています。
今橋03
今橋01

ぼくは実地に数えるのを怠ってしまいましたが、
花崗岩の欄干の内外各面が5区分されており、
その1区画ごとに1体の龍が彫られているので
(内側は線彫り、外側は半肉彫り)、計20体の
龍が彫られていることになるようです。
犬飼亀三郎の『大原孫三郎父子と原澄治』
では、以下のように記されています。
       ☆
工芸美術に格別こりを持つ敬堂は、さっそく、児島虎次郎画伯に設計を命じた。児島の意中には、皇太子は天皇になられる方だから、めでたい意味で竜の模様を描きたい。また敬堂も“辰”年だから、このことも考えに加えてもいい、という構想ができたものと思う。その描いた絵は(中略)欄干をつなぐ十二本の石柱の頂には、皇室の紋章にちなんで、十二弁の菊花をあしらってある。これを下絵として、児島画伯のおいに当たる、東京美術学校彫塑科を卒業した故児島矩一が、石膏で実物大の模型をつくり、倉敷紡績株式会社建設課長の村木卓郎が現場監督となって石工に彫らしたのであった。
       ☆
高砂橋(旧今橋) ぼくも画像を撮影しながら、何故に龍なんだ?
 オリエンタリズム?と、怪訝に感じたのですが、
 吉祥としての龍……いや、パトロンが辰年だから
 というのは、非常にわかりやすくて良いです。
 ちなみに、現在の今橋に架け替えられた際、
 元の「今橋」は(旧)高砂町に移されたことから
 「高砂橋」と名を変え、さらには倉敷用水路の
 改修を受けて、昭和42年(1967)、現在地
 (美観地区南側)にまで移されています。
 この高砂橋、慶長初期(1600年頃)に
板橋として架設され、天保年間(1830年頃)に石橋に架け替えられたそうですが、
由緒ある橋が現役として、大切に扱われている様に、何とも心を和まされるのでした。
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通りすがりの夢想家。元(にして最後の)「トーヨー新報」編集人。現在は、一介の編集素浪人?



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「トーヨー新報」は、昭和33年(1958)創刊。大豆加工品(豆腐・油揚げ、納豆、豆乳、湯葉、凍り豆腐、もやし等)、こんにゃく、総菜業界をメイン購読者層に、月3回の旬刊紙「トーヨー新報」や業界関連データブック『豆腐年鑑』を発行。平成25年(2013)12月21日号、第1851号をもって終刊に至る。

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