高野山町石道

今にも雨が降り出しそうな空模様の中、2016_11_08_川の駅「はちけんや」
大阪・天満の自宅から天神橋筋商店街を南下。
天神橋から東を見遣れば、二層の天満橋
大川左岸に「川の駅 はちけんや」も建ちます。
八軒家船着場」の跡地に造られたものですが、
八軒家浜」については、いずれまた書きます。
11月8日(火)10時半から「公開講座フェスタ」、
聴講したのは、坂口太郎氏(高野山大学)の
高野山町石道をめぐる歴史と文化」です。
       ☆
高野山への参詣道はいくつかのルートがありますが、かつての表参道に当たるのが
高野山町石道”です。知らない人は、どう区切って読むかで、まず戸惑われるかも。
高野山の町石(ちょういし)の道ですから、「高野山/町石(ちょういし)/道(みち)」が正解。
そこで次に、“町石”って何?というところから、説き起こされます。
町石は元々、木製の“町卒塔婆”から始まり、仏教寺院の参道に1町
約109m)ごとに建てられた道標となる石塔です。上部は五輪の形、下部は方形。
高野山の町石は高さ約3m、幅が約30cm、国内で最も大規模で、史料として重要。
       ☆
講座は、鎌倉幕府の文献史料の空白を補う金石文史料としての意義を説き、
文永2年(1265)に発願され、文永3年(1266)~建治元年(1275)、ちょうど
蒙古襲来の時期にかけて集中的に造立された新たな町卒塔婆(石造)について
考察を重ねます。その立役者こそが、鎌倉幕府の有力御家人、安達泰盛でした。
知名度はまだまだ低いようですが、この安達泰盛、かなりの要注意人物で、
参考文献として挙げられていた福島金治『安達泰盛と鎌倉幕府』(有隣堂)など、
一通り、押さえておこうと思いました。歴史はフィックスされたものでなく、
常に書き換えが要請されますから、頭の中はいつでも自由にしておくのです。
       ☆
地図好き、ミステリー好きが喜びそうなネタとしては、ここからでして、高野山町石道
(=高野参詣道)は、山麓の「慈尊院」(和歌山県伊都郡九度山町)から、高野山
(同県伊都郡高野町)へと通じています。高野山は壇上伽藍を基点としており、
壇上伽藍から奥の院にも町石が建てられています。さて、真言密教の教義となる
両界曼荼羅において、胎蔵界には180の諸仏が、金剛界には37の諸仏がおわす
といわれているのですが、慈尊院から壇上伽藍まで180基の町石、
壇上伽藍から奥の院まで36基の町石が設けられているのです……。
(奥の院で入定する弘法大師・空海を1尊として数え入れますが)すなわち、
高野山全体がリアルな曼荼羅として設定されており、高野山町石道を行く者は
曼荼羅行を敢行する修行者でもある訳ですね。真言密教では、大日如来
一切諸仏諸尊の根本仏とされており、胎蔵界の大日如来が慈尊院の秘仏
弥勒仏坐像」、金剛界の大日如来が入定している空海と見立てられています。
念のためですが、“入定”とは生きたまま禅定に入る、生きて修行を続けることです。
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通りすがりの夢想家。元(にして最後の)「トーヨー新報」編集人。現在は、一介の編集素浪人?



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「トーヨー新報」は、昭和33年(1958)創刊。大豆加工品(豆腐・油揚げ、納豆、豆乳、湯葉、凍り豆腐、もやし等)、こんにゃく、総菜業界をメイン購読者層に、月3回の旬刊紙「トーヨー新報」や業界関連データブック『豆腐年鑑』を発行。平成25年(2013)12月21日号、第1851号をもって終刊に至る。

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