深里橋

とどまらず、東横堀川に架かっている橋まで
撮影しつつ、歩き倒していた時代がありました。
まあ、現在でも、似たようなことを続けて
行ってはいますが、道頓堀の橋もほぼ大体
押さえているつもりです。さて、宮本輝の
『道頓堀川』を読み返していると、幸橋が
非常に良い感じで使用されていました。
☆
口の中のものを珈琲で流し込むと、武内は煙草をくわえながら川の方を指差した。
「ここからもうちょっと西へ下るとなァ、御堂筋を渡ってそのまま真っ直に歩いて行くんやけど、幸橋(さいわいばし)いうのがあるんや。知ってるか?」
聞いたことはあるような気がしたが、邦彦は黙ってかぶりを振った。武内の吐き出す煙が、いやに目に沁みて、邦彦はそれから逃げるようにして川ぞいのガラス窓の所に移った。道頓堀川が小さく波立っていた。晴れてはいたが、風が強いようであった。
「戎橋の次が道頓堀橋、その次が新戎橋、それから大黒橋に深里橋や。ほんでから住吉橋に西道頓堀橋、幸橋となるんやけど、その辺の橋に立って道頓堀をながめてると、人間にとっていったい何が大望で、何が小望かが判ってくるなァ」
邦彦は真鍮製のロックを外してガラス窓をあけ、顔を突き出して川下を見つめた。そこからはせいぜい道頓堀橋の欄干ぐらいしか見えないのである。
☆
現代の道頓堀風景と最も異なる点を挙げれば、平成14年(2002)に開業した
多目的複合イベント・スペース「湊町リバープレイス」等の位置する南岸と
北岸の間に、浮庭橋が架かっていることでしょう。完成は平成20年(2008)。
作中で言及されていた深里橋と住吉橋の間に架かる吊橋形式の人道橋です。
湊町リバープレイス近くには、「OCAT(大阪シティエアターミナル)」等も建ち、
仕事上がりの相方を迎えに行ったこともありました。ぼくのPCの画像フォルダに、
深里橋と浮庭橋までは保存されていましたが、幸橋は見つからなかったです。
なお、「深里橋」は「ふかりばし」と読むのが正解。ルビが必要かと思われます。
参考文献:宮本輝『川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川』(ちくま文庫)
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