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こんにゃく王国は一日にしてならず (1)

こんにゃくの主要産地をみたところ、近代以降でもかなりの変遷がある。明治期は茨城県が生産量で他県を圧倒していたが、大正期に入ると、岡山県と広島県の西日本勢が台頭してきた。そうした流れの中、戦後、こんにゃく生産で完全制覇を成したのが、こんにゃく王国・群馬県だ。

群馬県がこんにゃく生産量のトップに立ったのは昭和26年で、この時の全国シェアは18%。その後もシェアを増やし続け、昭和39年に3割を超え、50年には8割を突破。現在では9割近くのシェアを誇っている。かつては北日本を除く全国各地で栽培されていたこんにゃくだが、こんにゃく生産において、群馬が絶対王者たり得たのはなぜか?

相場変動があるとはいえ(他作物と比べ)値が高い半面、病気に弱く、安定した収穫を上げるのが難しいこんにゃく。その栽培が群馬県で活発化した要因として、最初に挙げられるのが、昭和40年代、群馬県農業試験場渋川こんにゃく試験地(=群馬県農業技術センター・こんにゃく特産研究センター)で在来種と支那種を掛け合わせた改良品種が誕生したことである。

マンナンは多いが病気に弱い在来種と、品質は劣るが大きく育ち、病気にも強かった支那種の長所を生かして交配させたのが、「はるなくろ」「あかぎおおだま」などの改良品種だった。しかし、これら改良品種が普及したのは昭和50年代。そのころ既に群馬県は全国の生産量の半分を占めていた。他の先行する要因が探し求められなければならない。

こんにゃくには、激しい相場変動と投機性が宿命づけられていた。年ごとに作柄が大きく変動する面倒な作物と、どう向き合うか。「やってられるか」と投げ出すか、「おもしろい」と感じるか。例えば江戸時代に本格栽培を始めた水戸藩のような堅苦しい武家の土地柄と異なって、群馬には後者が多かったのではないか。「上州人の博打好き」という物騒な言葉もあるが、そんな熱しやすく冷めやすい上州人気質とこんにゃくは馬が合ったのかもしれない。気候風土ばかりか、そこに暮らす人々の気質も含めて、こんにゃくと最も相性が良かったのかもしれない。

参考文献:武内孝夫『こんにゃくの中の日本史』(講談社現代新書)
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