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近江八幡の赤こんにゃく

滋賀・近江八幡のこんにゃくと言えば、「赤こんにゃく」が有名である。全国的にも珍しい赤いこんにゃくだが、近江八幡では普段の食卓に上り、また冠婚葬祭にも欠かせない食材だという。

その起源は、永源寺開創の寂室元光禅師が中国から種芋を持ち帰って始まったとされる永源寺周辺でのこんにゃく作りの製法(2008年2月「永源寺こんにゃく」参照)を、僧から教わった武士が八幡村に広めたと伝わっているが、定かではない。正確な史料は残されていないため、これも民間伝承の類ではあるが、赤こんにゃくは織田信長にゆかりがあるともいわれている。

近江八幡は、織田信長が亡くなった後、豊臣秀次が八幡山城を築き、それに伴って安土から移住した人々を中心として開かれた町である。安土城下では毎年正月に左義長祭が盛大に繰り広げられており、織田信長も自ら華美な女装姿で躍り出た、と『信長公記』に記されている。現在も近江八幡に春の訪れを告げる奇祭「左義長まつり」は、そのルーツを安土に求められる。

そこから、祭り好きでかぶき者の武将・織田信長が、こんにゃくまで赤く染めさせたのが近江八幡の赤こんにゃくの由来という説も生まれた。「左義長まつり」に関しては、近江商人が祭りの山車に飾られる赤紙からヒントを得て考案したとの説もある。

文献で確認できる限りでは、膳所藩主・本多康敏の命を受けて藩士の寒川辰清が編纂に着手し、享保19(1734)年に完成した近江国の地誌『近江輿地志略』において、八幡村のこんにゃくが「八幡の土人製造する。甚だ大きく味よし」と書かれている。このことから、18世紀の初めごろには土産物として売られていたことが分かるのだが、これがいつ赤くなったのかというと、はっきりしないようだ。

『八幡町史』によると、以前はトウキビ(唐黍)の実の皮を混ぜて着色していたもので、食紅を用いるようになったのは明治以後であるらしい。旧八幡町域に当たる、近江八幡市為心町にある乃利松食品・吉井商店では現在も赤こんにゃくの製造を手掛けているが、赤の着色料には食品添加物の三二酸化鉄を使用している。普通のこんにゃくと比較すると、三二酸化鉄で着色しているため、鉄分を豊富に含んでいるそうだ。

参考文献:滋賀の食事文化研究会・編『芋と近江のくらし』(サンライズ出版)
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