こんにゃくでペニシリン開発

第二次世界大戦中、「風船爆弾」とも呼ばれた「ふ」号兵器(2006年8月「風船爆弾」参照)の開発に携わっていた東京高等女子師範学校(現・お茶の水女子大学)植物生物学科の大槻虎男博士は、こんにゃくの研究で学位を取得しており、「こんにゃく博士」とも呼ばれていた。

当時の大槻氏は、こんにゃくを用いた奇想天外な兵器「風船爆弾」の開発以外に、別の軍務にも携わっていた。昭和19年に陸軍が着手したペニシリンの開発がそれで、大槻氏は微生物学者として同年1月発足の陸軍医学校「ペニシリン委員会」のメンバーに名を連ねている。当時、肺炎にかかった英国首相チャーチルが新薬ペニシリンによって快癒したと報じた外電を受けて、陸軍が取り組んだプロジェクトだった。

ペニシリンは青カビが生成する物質なので、まず委員会の研究者たちはペニシリンを生成する有効な青カビを発見しなければならなかった。大槻氏は最初、牛乳に発生する青カビに目をつけた。しかしペニシリンの生産実験の結果、薬としての抗菌力が不足しており、薬剤化には程遠かった。カビの培養液を何倍まで薄めて有効かを示した場合、ペニシリン委員会は800倍希釈を目標としていたが、牛乳に発生した青カビは100倍希釈が限度だった。牛乳以外の他の養分を用いて青カビの培養を行ったが成功しなかった。

行き詰まったところで、大槻氏はこんにゃくを使ってみることを思いつき、実験してみると1,000倍以上の希釈有効の域に到達した。これによってペニシリンの工業生産のめどが立ち、東京女高師の大槻氏の研究室は、陸軍衛生材料本廠指定の工場と変わった。空襲を避けるため、大槻氏は教え子とともに長野・佐久に疎開したが、そこでペニシリン製造を続けるうちに終戦を迎えたという。

終戦後、進駐軍が大量のペニシリンを持ち込み、日本でもタンク培養で大量生産が可能になったが、こんにゃくを利用した大槻氏のペニシリンは既に実用レベルに達していた。大戦末期、陸軍と東大に臨床実験用として提供されたほか、大槻氏が個人的に分け与えたペニシリンは何人もの命を救ったのである。なぜこんにゃくが適していたのか。「悪いものがよいというのが結論であった。これは蒟蒻食が栄養が悪いから、健康によいというパラドックスと一致する」(原文ママ)と大槻氏は語っている。

参考文献:武内孝夫『こんにゃくの中の日本史』(講談社現代新書)
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