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宝永大噴火とこんにゃく価格の暴騰

江戸時代の宝永4年(1707)11月23日に富士山が噴火した。平安時代の「延暦の大噴火」「貞観の大噴火」と併せて「富士山三大噴火」と呼ばれる「宝永大噴火」である。溶岩の流出こそなかったが、大量の火山灰は約100キロメートル離れた江戸の町にも降り注いだという。当時、江戸に居た新井白石は降灰について「雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也」と著書『折りたく柴の記』に記している。

この噴火によってこんにゃくが爆発的なブームになった。こんにゃくは「腹の中の砂を出す」といわれていたため、「体内に入った火山灰を出そうとこんにゃくを買い求める人が後を絶たず、こんにゃくの値段が暴騰した」との記録が残されている。

寺島良安が正徳2年(1712)に著した図説百科事典『和漢三才図会』にも「こんにゃくはよく腹中の土砂を下す」とあり、「胃のほうき」や「腸の砂おろし」といった俗言、また「こんにゃくは体の砂払い」ということわざもある。こんにゃくの豊富な食物繊維が腸の働きを活発化し、体内の老廃物を排出する健康機能性に古人も着目したのだろう。

宝永大噴火の頃は、まだこんにゃく粉(精粉)が発明されていなかった。こんにゃく芋は傷みやすく、供給量が限られていたため、価格高騰は避けられなかったのである。こんにゃく粉は江戸時代後期の安永5年(1776)に、今では「こんにゃくの神様」と呼ばれる常陸国(現・茨城県)の農民、中島藤右衛門が発明した。日持ちが良く、軽量だから遠隔地への輸送が容易になり、価格は安定。同じように田楽に用いられる豆腐と比べると4分の1程度の安価になった。

参考文献:歴史の謎を探る会[編]『江戸の食卓』(河出書房新社)武内孝夫『こんにゃくの中の日本史』(講談社現代新書)
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